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「羅紗切鋏ノ元祖 弥吉師之碑」

裁ち鋏はこの人から始まった

★ジャンル【産業】 
★場所 台東区根岸3-12-44
★最寄駅 JR鶯谷駅、東京メトロ日比谷線入谷駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
「故吉田弥十郎師は通称銘を弥吉(不明)。安政六年江戸千住に住する野鍛冶に生れ、十二歳で某刀鍛冶に弟子入した。当時明治維新でもあり廃刀令で刀の製作が出来なくなるに及んで主として植木鋏等を作っていた此の頃、欧米からラシヤ布が大量に輸入され、これと一諸にラシヤ切鋏も輸入された。この頃より入谷に住居を構え、この鋏をもとにして研究が始まり、日本刀の鍛錬技術を応用して現在の鋏の姿を作りあげた。これが日本のラシア切鋏の始めである。後年徒弟を養成し、鋏の製作に専念。数多くの逸品を世に出し明治三十四年五月二日四十二歳で歿した。現在の鋏の製作者は主としてこの傳統的系統によるものである。」
原文には句読点がありませんが読みにくいので私が補いました。また一部読めない場所があります。

★解説
 「根岸小学校発祥之地」の碑がある西蔵院のすぐ南、永称寺の門前にあります。上部に大きな裁縫用の鋏が彫られた印象的な碑です。
 「羅紗切鋏」とは今で言う裁ち鋏のことです。「羅紗」は碑文にもあるように「ラシャ」(碑文中は「ラシヤ」)で、元来は厚手の毛織物のことで、コートなどに使います。江戸時代の日本に羊はほとんどいなかったため毛織物は特殊な用途の高級品でしたが、維新後は輸入が盛んになり、特に寒冷地での軍服用に必須の戦略物資となりました。
 これまで日本にない厚手の生地のため和鋏で切ることはできず、縫製用の鋏も輸入品でした。この国産化に取り組んだのが吉田弥十郎というわけです。碑文にもあるように、日本刀の需要が激減して、刀鍛冶が生きる道を探ったという側面もあるのでしょう。
 その後、重いが故に切りやすい羅紗切り鋏は人気となり、薄い綿織物などの裁縫用にも重宝されるようになり、裁ち鋏として一般家庭でも多く使われるようになりました。
 ネットで見ると、多くの鋏職人がこの吉田弥十郎を元祖として尊敬していることがわかります。また弟子、孫弟子などの「系図」があり、吉田弥十郎に連なることを誇りとしている職人がいまだに数多いことも驚きです。

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 しかし情報が少なく、記事もここまでで全文です。

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