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「東京府立第五高等女学校発祥の地」(富士高校発祥の地)

沼だった歌舞伎町に女実業家が女子高を寄贈

★ジャンル【学校】
★場所 新宿区歌舞伎町1-13
★最寄駅 JR、東京メトロ駅新宿駅、西武新宿駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
「東京府立第五高等女学校は、尾張屋峯島喜代刀自による東京府への私財寄贈を契機に、大正九(一九二〇)年東京府豊多摩郡淀橋町字角筈(現新宿区立歌舞伎町公園隣地)に開校、昭和二十年(一九四五)年四月戦災により校舎全焼。同二三(一九四八)年中野区富士見町(現弥生町)に移転、同二五(一九五〇)年東京都立富士高等学校となり現在に至る」

★解説
 ちょっと怪しげな歌舞伎町さくら通りに入り、ロボットレストラン手前の角を左に入ると右角に雑然とした小公園があります。その隅に碑が建っています。
 最近の歌舞伎町は以前よりだいぶ安心できる街になりましたが、それでも周囲は風俗店や飲酒が中心の店が立ち並んでいます。ここ女子校があったというのですからびっくりです。しかも戦前は府立でも最高水準の学校と言われていました。戦後の移転、共学化、富士高校への名称変更後も、地域のエリート校として知られていました。
 その発足は、碑文にもあるように峯島喜代(みねしま きよ)という女性の寄付に端を発します。刀自というのは年配の女性への敬称で、万葉集にも出てくる由緒ある言葉です。彼女は江戸時代半ばから続く地元内藤新宿の老舗質屋・尾張屋の娘で、優秀な番頭だった茂八を婿養子に迎え、幕末からともに家を隆盛に向かわせます。
 喜代は夫が1876年に亡くなると自身で家業を切り盛りし、質屋から金融業・不動産業に進出して東京でも有数の大富豪となり、数十万坪もの土地を持つ大地主になりました。
  と、これだけならただの女実業家ですが、彼女が偉かったのは自分に続く女性たちに教育の機会を与えようとしたことです。亡くなる直前に50万円もの資金を「女子教育のため」に東京府に寄付し、さらに遺言で校地も提供しました。それがこの碑の建つ歌舞伎町一帯でした。
 戦前まで碑にもあるように付近の地名は角筈でした。歌舞伎町という地名

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