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「専修大学発祥の地」

福沢諭吉の援助で創立した専修大学

★ジャンル【学校】
★場所 中央区銀座3−14−13
★最寄駅 東京メトロ日比谷線、都営浅草線東銀座駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
「専修大学は明治13年9月16日ここ東京市京橋区木挽町2丁目14番地に経済及び法律の専修学校として発足したことに始まる。創立者は相馬永胤、田尻稲次郎、目賀田種太郎、駒井重格の諸先達で建学の精神は社会に対する報恩奉仕であり質実剛健、誠実力行は学風である。」

★解説
 マガジンハウス社の向かいのビル隅に建っています。
 専修大学のサイトはその歴史についてあまり詳細に書いていません。いきなりこの4人が学校を作ったように思いますが、実はその前にいろいろないきさつがあり、それには慶應の福沢諭吉(ふくざわ ゆきち)が深く関わっています。
 専修学校は、創立者らがアメリカ留学中に結成した「日本法律会社」が母体です。会社と言っても商売をするわけではなく、学生仲間の研究会のようなものです。ここに創立者4人や鳩山和夫(はとやま かずお)、清水(徳川)篤守(しみず あつもり)、神鞭知常(こうむち ともつね)、津田純一(つだ じゅんいち)などといったメンバーが加わり、帰国後の学校設立を計画していました。
 このメンバーはなかなかおもしろく、相馬永胤(そうま ながたね、彦根藩)、田尻稲次郎(たじり いなじろう、薩摩藩)、目賀田種太郎(めがた たねたろう、幕臣)、駒井重格(こまい しげただ、桑名藩)、鳩山(勝山藩)と明治維新まではいがみ合っていたもの同士です。外国に行って、日本という同じ出自で結束したのでしょうか。長い者は10年近くアメリカで勉強しており、コロンビアやイェールといった名門で学んでいます。
 1879年(明治12年)に帰国した相馬と目賀田は銀座に法律事務所を開設し、田尻と駒井がその2階に住んで学校開設準備を始めます。かれらの構想は、その当時官立学校が英語とフランス語で法律を教えていたのに対し、日

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