二宮尊徳は生きている/ユニークな活動生んだ街/掛川市
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知り合いの掛川市出身者に言われた。「二宮尊徳(にのみや たかのり)は掛川のものですよ」。一体どういうことだ? 戦前は全国の小学校の校庭に像が立っていた偉人だが小田原市出身のはず。「もの」とは?
尊徳は幕末の農民。本当は「たかのり」と読むのだが「そんとく」の方が通りがいい。貧しい中から努力と工夫を重ね、今でいう経営改善の達人として地元小田原藩はもちろん、各地で引っ張りだことなり、「報徳仕法」という経営の極意を多くの門人に伝えた。
その四大門人の一人が掛川出身の岡田良一郎(おかだ りょういちろう)だった。1875年、地元に「遠州報徳社」を作り尊徳の教えを広める。さらに農学校や全国初の信用金庫を作り、地元の中学校の校長になるなど活発に活動した。報徳社は一時全国に1000社もでき、発祥の静岡県は特に盛んだった。
遠州報徳社はのちに大日本報徳社となり、昭和に入りその活動もあって全国の小学校に尊徳像が立った。今も本部が掛川城天守を少し下ったかつての城内にあり、大講堂は重要文化財になっている(トップ写真)。ここには東京の霞ヶ関にあった旧有栖川宮邸の一部なども移築されている。掛川は尊徳の思想を伝える拠点であり、であるが故の掛川の「もの」なのだ。
また過去の人物と思われがちだが、高校野球で有名な報徳学園や花巻東高等学校など、いまも設立理念に「報徳仕法」を掲げる。その思想は根強く残っているのだ。
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