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古河グループ発祥の地

足尾銅山開発で財閥を築く

★ジャンル【企業】
★場所 中央区日本橋室町2-3
★最寄駅 東京メトロ銀座線三越前駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
中央区日本橋室町2-3-1 コレド室町2北側
「古河市兵衛翁は天保三年(一八三二年)京都で生まれる 行商から身を興し明治八年鉱山経営に着手 その強靱な気根と不撓の行動力により幾多の困難を乗り越え「鉱山王」と呼ばれる 足尾銅山の発展を基盤として多角経営に進出 これが今日における古河グループ発展の基礎となる この地は翁が明治十年住居兼古河本店としてその後二十年間事業の拠点とした発祥の地である」

★解説
 古河市兵衛(ふるかわ いちべえ)は、京都の現在の左京区あたりの庄屋の家に生まれましたが、父の代には没落しており、豆腐を売り歩くなどして貧しい少年時代を送りました。その後盛岡で叔父の貸金業を手伝うなどしたのち、才能を見込んだ京都の豪商小野組の番頭・古河太郎左衛門の養子となりました。市兵衛は才能を発揮して、開国による生糸貿易で大成功します。
 小野組は江戸時代の初期から京都と盛岡、のちには江戸も拠点に交易を行なっていた豪商でした。明治維新後は新政府の金融機関として三井組、島田組と並んで重用され、1872年(明治5年)には、三井と共同で「三井小野組合銀行」(のちの第一銀行)という日本最初の銀行を設立します。のちに三井はたもとを分かち別の銀行を設立しますが、小野組は三井を凌ぐ勢いでした。
 しかし1874年(明治7年)、政府が預かり金に対する担保額をそれまでの3分の1から急遽全額に変更したことに対応できず、経営破綻します。
 この際、小野組が巨額の出資をしていた第一銀行の破綻を防ごうとした渋沢栄一(しぶさわ えいいち)に対し、古河市兵衛は積極的に資産を提供し、渋沢との繋がりを得ます。そして小野組から独立後、鉱山経営に乗り出し、渋沢の協力もあって新潟県の銅山の開発権を獲得します。
 その利益で、当時は枯渇したと見られていた足尾銅山を買い、苦労して新鉱脈を掘り当て、さらに飛躍を遂げました。これがのちの古河鉱業、現在の

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