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「蘭学の泉はここに」(解体新書翻訳地)

「ターヘル・アナトミア」はなかった

★ジャンル【学問】
★場所 中央区明石町11-6
★最寄駅 東京メトロ日比谷線築地駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
「一七七一年・明和八年三月五日に杉田玄白と中川淳庵とが前野良沢の宅に集まった。良沢の宅はこの近くの鉄砲洲の豊前中津藩主奥平家の屋敷内にあった。三人はきのう千住骨が原で解体を見たとき、オランダ語の解剖書ターヘル・アナトミアの図とひきくらべてその正確なのにおどろき、発憤してさっそくきようからこの本を訳しはじめようと決心したのである。ところがそのつもりになってターヘル・アナトミアを見ると、オランダ語をすこしは知っている良沢にも、どう訳していいのかまったく見当がつかない。それで身体の各部分についている名をてらしあわせて訳語を見つけることからはじめて、いろいろ苦心のすえ、ついに一七七四年・安永三年八月に解体新書五巻をつくりあげた。これが西洋の学術書の本格的な翻訳のはじめで、これから蘭学がさかんになった。このように蘭学の泉はここにわき出て、日本の近代文化の流れにかぎりない生気をそそぎつづけた。」

★解説
 「慶應義塾発祥の地」と同じ敷聖路加国際病院はす向かいの道路内、三角形の敷地内にあります。材質やデザインも共通しています。
 碑について「蘭学事始の地」と紹介している資料もありますが、碑名としては「蘭学の泉はここに」が正式です。
 ではここがなんの発祥なの?と問い詰められると困るのですが、「蘭学事始の地」と紹介しているニュアンスを尊重し、碑文に「西洋の学術書の本格的な翻訳のはじめ」とあるように、鎖国下の日本で西洋学問の研究が発展したきっかけの地、といったことでいかがでしょうか?
 「慶應義塾発祥の地」と同様、「解体新書」翻訳が行われたのは中津藩奥平家中屋敷で、聖路加国際病院の西側から中央保健所あたりにありました。
 「解体新書」翻訳と書きましたが、元の書籍名は「ターヘル・アナトミア」としてよく知られているものの、実はそういう名の本はありません。そもそも原書はオランダ語で書かれたものではなく、ヨーハン・アーダム・クルムスというドイツ人医師が、現在はポーランドとなっているダンツィヒ(グダニスク)で1722年に出版したもので、それが1734年にオランダ語に翻訳されたのです。
 書名は元々のドイツ語では「アナトーミッシェ・タベレン」で、オランダ

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