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「活字発祥の碑」(活版印刷業発祥の地)

日本の金属活字印刷業草創の地

★ジャンル【産業】
★場所 中央区築地1-12-16 コンワビル南隅
★最寄駅 東京メトロ日比谷線東銀座駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
「明治六年(一八七三) 平野富二がここに長崎新塾出張活版製造所を興し後に株式会社東京築地活版製造所と改称日本の印刷文化の源泉となった」

★解説
 旧電通本社ビル隣のコンワビル南端植え込み内にあります。
 この「活字」とは金属活字のことです。江戸時代までの日本では活字は発達しませんでした。木版の活字を利用したことはあったのですが、漢字仮名混じり文で、しかも筆で書いた文字を再現するには、印刷面まるごとを木版で仕上げた方がむしろ手間がなかったのです。しかも需要が多かった浮世絵など、絵も同時に刷れました。大小合わせて50文字ほどしかないアルファベットとは事情が違いました。
 しかし幕末以降の近代化に伴って大量の文書の需要が見込まれ、日本でも金属活字を使った印刷の必要性が明らかになりつつありました。
 その先覚者が長崎にいた本木昌造(もとき しょうぞう)です。本木は長崎のオランダ通訳の家に養子に入り通訳になりますが、それだけでなくオランダ人がもたらす西洋の技術に強く関心を持ちました。そのため幕府が作った長崎製鉄所の担当になり、蒸気機関や活版印刷について学びます。製鉄所と言うと現代の我々は鉄鋼を作る工場と思いますが、長崎製鉄所は「造船所」あるいは「機械工場」とも言うべきもので、オランダの支援のもと設立

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