「東京農業大学開校の地」
箱館戦争の榎本武揚が作った東京農業大学
★ジャンル【学校】
★最寄駅 JR、東京メトロ飯田橋駅
★碑文
「明治二十四年(一八九一)、この地、旧東京市麹町区飯田町河岸十番地に東京農業大学の前身、育英黌農業科が徳川育英会により設置されました。初代黌主は榎本武揚でした。 明治二十五年(一八九二)、現在の中央線である甲武鉄道の新設工事、また農場用地取得のため大塚窪町に移転しました。」
★解説
東京メトロ飯田橋駅A4出口のすぐ目の前。JR飯田橋駅東口のすぐ南に碑が建っています。目の前の道は目白通りです。
育英黌は「いくえいこう」と読みます。黌=校。ですから「徳川育英会の学校」ということですね。榎本武揚(えのもと たけあき)は幕臣として戊辰戦争の最末期まで戦いながら、明治政府でも重用された数少ない人物です。榎本はそのポジションをわきまえ、不遇な旧幕臣の援助に力を注ぎました。そして旧幕臣子弟に奨学金を支給するために、1885年(明治18年)に徳川育英会を設立します。
さらに奨学金を出すだけではなく直接教育を行おうと1891年に育英黌を造り、農業科以外にも商業科、普通科も設置しました。碑には「飯田町河岸」とありますが、「飯田河岸」の間違い。飯田河岸第四号の三を、榎本が明治24年3月から27年7月まで拝借していた、との記録があります。江戸時代には外堀沿いの土手の外だった土地で、いわば河原のような場所。榎本らの苦労が偲ばれます。実際の場所は碑からだいぶ離れた今の飯田橋駅西口近くのホーム付近です。
碑では「初代校主」とありますが、これは「管理長」というべき立場で、
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