見出し画像

「キカイ湯跡」(銭湯のペンキ絵発祥の地)

最初に描いた画家の出身地から富士の絵に

★ジャンル【文化】
★場所 千代田区神田猿楽町2-7-1
★最寄駅 JR、都営地下鉄水道橋駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
「明治17年(1884)に祖父、東由松(1852-1917)はこの地に銭湯キカイ湯を建てて開業した。汽船のボイラー(機械釜)を他店に魁けて取り付けたことを記念して店名をつけた。大正元年(1912)父、東雄三郎(1880-1953)は、旧店舗の隣りに新キカイ湯を増築して、その浴室の壁面に新規発想によるペンキ絵を掲げた。公衆浴場史(昭和47年発行)に”・・・ところが、この絵が満都の評判となり、市内各湯もこれにならって思い思いの絵をかかせて客を喜ばせ・・・”とある。キカイ湯は、大正12年(1923)の震災と昭和20年(1945)の戦災とに2回全焼したが、その都度復興して営業を続けた。ついに、昭和46年(1971)に近隣に惜しまれつつ87年間続けた店を閉じた。このTOHYU(東雄)ビルの名称は、父の名を宿している」
千代田区「まちの記憶」の解説
「ここにあったキカイ湯(明治17年〜昭和46年)では浴室の壁に初めてペンキ絵が描かれた。以降、各地の銭湯絵の定番となった」

★解説
 水道橋から駿河台方面に向かった入り組んだ中小ビル街の中にあり、わかりにくいです。有名な女坂やカトリック神田教会のそばで、ビルのエントランスの奥まったところにあるので、キョロキョロ探してみてください。
 「銭湯といえば富士山の絵」というのはここにあった銭湯から始まりました。解説版に書かれている新キカイ湯の浴室の絵は、川越広四郎(かわごえ こうしろう)という広告デザイン画を描く画家の手で描かれたようですが、どうも店主からは「壁画を」というだけで題材に注文はなかったようです。そこで静岡県掛川市出身だった川越は、静岡のシンボル富士を思いついて描いたと言います。
 しかし「銭湯といえば富士山の絵」というのは関東周辺だけの常識のようで、他の地方では何も描かれていないことが多いようです。それも銭湯のペンキ絵の発祥を知ると腑に落ちますね。関東で始まったペンキ絵の評判が口コミで広がったわけですから、それは関東に多いわけです。
 ただゆったりと美しい富士の景色は、くつろぐ場でもある風呂で眺めるにはぴったりでした。他の銭湯も、絵を描くのを真似るだけでなく、題材としての富士山も模倣したことでそれがわかります。
 逆に描いてはいけない題材もあるようで「猿」「夕日」「紅葉」などだと

これより有料です。以下には記事全文のほか、写真、地図、関連情報リンクなどがあります。ご購入いただく場合、この記事だけで100円お支払いいただくより、マガジン「東京23区発祥の地めぐり」全体を500円でお買い上げいただく方がお得かと思います。最終的に数百本近い記事をご覧になることができます。よろしくお願いします。

ここから先は

493字 / 4画像
この記事のみ ¥ 100
期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?