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共立女子薬学専門学校發祥之地(共立薬科大学・慶應大学薬学部発祥の地)

慶應義塾出身者が創立し、慶應に合併

★ジャンル【学校】
★場所 港区芝公園1-5
★最寄駅 都営地下鉄三田線御成門駅もしくは都営地下鉄大門駅

★碑文
「一九三十年十一月二十六日創立」
(ほかに校歌が刻まれていますが省略)

★解説
 都営地下鉄三田線御成門駅と都営地下鉄大門駅のほぼ中間、港区役所の隣にある慶應大学芝共立キャンパスの裏手隅にあります。共立薬科大学は2008年に慶應大学と合併し、同大薬学部となりましたが移転などはせず、創立地にそのままあります。その創立地に「発祥の碑」があるというのもやや奇妙な感じもしますが、創立時からは学校の形態も変わり、何より校名が変わった、ということが大きいのでしょう。碑はその校名消滅の年に設置されています。隣の碑は設立者の小島昇の顕彰碑です。
 共立女子薬学専門学校は1930年、創立地で芝・麻布共立幼稚園を運営していた小島つなとその子の小島昇が設立しました。日付は認可の日です。芝・麻布共立幼稚園は1884年設立という東京でも最古の部類の幼稚園で、あの志賀直哉(しが なおや)も通っていました。
 小島昇は父を幼くして亡くしており、母の苦労を目にしていたことから、女性が手に職を持って働ける教育環境の実現を志していました。それが当時は女性に適した職業と思われていた薬剤師でした。
 設立にあたっては実業家の牧野元次郎(まきの もとじろう)の多大な援助があったといいます。牧野は不動貯蓄銀行(のちの協和銀行、現在はりそな銀行)の創業者で、「貯蓄王」などと呼ばれた人物です。完成した校舎は鉄筋コンクリート3階建てという当時の学校としては破格のものでした。
 1931年の1期性の入学式には130人の女性が集まり、運営も順調でした。しかし

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