見出し画像

日本最初の国際貿易都市/各所に残る「箱館戦争」ゆかりの地/函館市 [マガジン「日本の城下町を愉しむ」無料サンプル記事]

★「日本の城下町を愉しむ」一覧
  東日本編(北海道・東北・関東甲信越)
  中日本編(北陸・東海・近畿)
  西日本編(中国・四国・九州)

★都道府県 北海道
★城郭 五稜郭

 夜景やイカ、レトロな西洋建築や教会で人気の函館だが、北海道の軍事拠点として箱館奉行所や五稜郭が築かれた城下町の側面も持つ。その一面が最も現れたのが、幕末・維新期だろう。戊辰戦争の激戦跡が市内の各地に残る。

函館2

          復元された五稜郭内の箱館奉行所

 榎本武揚が率いる旧幕府脱走部隊は函館北方の鷲の木に上陸、難なく五稜郭や函館の街を制圧したが、準備を整えて倍以上の兵力で反攻を開始した新政府軍に次第に押されてくる。
 土方歳三ら新選組生き残りは大町の称名寺に屯所を置く。跡地は函館元町ホテルとなり解説板がある。寺は近くに移転したが、今も土方らの供養碑がある。
 再編された新選組は陸軍の第1列士満(レジマン=連隊)所属となる。レジマンの名は、脱走したフランス軍事顧問団士官・ブリュネらによって連隊が率いられていたためである。のち帰国したブリュネは英雄として迎えられ、陸軍参謀総長にまでなった。
 土方は東北からの歴戦で軍事の才能を開花させ、函館郊外の二股口防衛では、圧倒的兵力と装備の新政府軍を2週間にわたって食い止めた。しかし他方面が破られたため撤退し、最後の決戦に臨む。
 函館港に隣接する弁天台場は五稜郭と同じ武田斐三郎設計の堅固な要塞で、新選組も立てこもったが、糧食が尽き降伏した。跡地に標柱と、近くの入舟児童公園に解説板があり、「新選組最後の地」の碑が立つ。

画像8

          入舟児童公園の箱館戦争解説板など

 五稜郭にいた土方は、弁天台場を救おうと向かう途中で戦死したというのが今のところ有力な説だ。その現場近くとされる若松緑地に土方最期の地の記念碑や案内板がある。遺体の行方は不明だが、五稜郭内の土饅頭に葬られたともいう。五稜郭で聞くと、場所を教えてくれるが、本当のところはわからない。

画像6

          伝土方歳三戦死地近くの碑

画像2

          五稜郭タワーから見た五稜郭

 ペリー来航時に浦賀で最初に対応した幕府官僚の中島三郎助も、降伏を拒否して千代ヶ岡陣屋で息子二人とともに戦死した。あたりは今、中島町となり記念碑もある。
 3000人を超えた旧幕府軍は3分の1もの死者を出し壊滅したが、榎本、大鳥圭介荒井郁之助沢太郎左衛門ら幹部の多くは助命され、その優秀さから新政府で活躍した。函館には榎本町、梁川(榎本の号)町と榎本の名にちなんだ地名が2か所もある。
 彰義隊戦争時と同様、旧幕府軍兵士の遺体は葬ることを許されなかったが、五稜郭建設に携わった浅草出身の侠客、柳川熊吉が死を覚悟して埋葬。彼はのちに函館山麓に「碧血碑」も建てた。観光の中心から離れた山の中に、今は熊吉の顕彰碑も寄り添う。

画像1

          碧血碑

 五稜郭タワーや近年再建された五稜郭内の箱館奉行所内で、この箱館戦争の経緯や関係地については詳しく展示してある。土方好きには、土方歳三函館記念館という施設もある。
      ◇
 函館には15世紀には現在の元町公園あたりに宇須岸(ウスケシ)館という和人の城砦があり、江戸時代は高田屋嘉兵衛らが北方交易に活躍した。
 幕末にはペリーも訪れ「世界随一の良港」と評価している。ペリーが贈ったという真紅の洋酒びんが市立函館博物館に残る。
 元町公園の隣はペリー広場で、ペリー像もある。意識されていないが、函館の開港は横浜より4年も早い。各国の領事館ができ、貿易も盛んになった。

画像7

          気持ちのいいペリー広場

 武田が教師となった箱館諸術調所は、江戸の蕃書調所(東大の源流)と並ぶ日本の洋学教育の中心で元町公園前にあったが、山尾庸三(工学の父)前島密(郵便の父)、井上勝(鉄道の父)ら錚々たる人物が学んだ。新島襄も武田に会いに函館を訪れ、それがきっかけでアメリカに密航した。新島の渡航碑は湾内の人工島、緑の島向かいにある。

新島

          新島襄渡航の地

 1879年に完成した函館公園は日本最初期の都市公園と言っていいし、1889年には横浜に次いで近代水道も作られた。建設時の元町配水池は函館ロープウェイ脇にあって今も現役だ。
 幕末から明治にかけて、函館は日本最先端の国際都市だったのだ。どうりで美しい洋館がいくつも残っているわけだ。
      ◇
 幕末に海防強化が課題になり、函館奉行所を安全な内陸に移転したのが五稜郭だ。それまでの城と違い、天守や高い石垣はない。狙撃できる銃や、炸裂弾も出現した時代に、標的になる高い建物や、破片が飛び散って凶器になる石垣は無用だった。しかし函館港内の艦船からの砲撃に安全な距離に作られたはずの城だったが、急速な軍事技術の進展で、あっという間に新政府艦隊の砲撃の的となってしまった。
 それにしてもこの美しい幾何学的な城を、一度の海外渡航経験もなく設計した武田の才能には驚く。維新後は陸軍士官学校教官となり、その授業は南北戦争の英雄、グラント米元大統領を感心させた。五稜郭には武田の顕彰碑があるが、いつの頃からか肖像を撫でれば頭が良くなるとの伝説が生まれ、顔の部分だけテカテカである。

武田

          五稜郭内の武田斐三郎顕彰碑。顔の部分がテカテカ

函館市 人口25万人

★城下町へのアクセス
函館空港からバス 函館駅までシャトルバス20分程度
JR北海道新幹線函館北斗駅からバスまたはJR函館本線函館駅 特急15分程度、各駅30分弱

★観光ポイント
 ・箱館奉行所 https://www.hakodate-bugyosho.jp/
 ・五稜郭タワー https://www.goryokaku-tower.co.jp/
 ・土方・啄木浪漫館 http://www.romankan.com/
 ・市立函館博物館 http://hakohaku.com/
 ・旧北海道庁函館支庁庁舎(元町公園) https://www.hakobura.jp/db/db-view/2011/04/post-71.html
 ・函館山ロープウェイ https://334.co.jp/
 ・開陽丸記念館(江差町) http://www.kaiyou-maru.com/

★情報
函館国際観光コンベンション協会 https://hakodate-kankou.com/

ここから先は

0字
この記事のみ ¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?