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「ラジオ体操中継放送再開発祥の地」

ファシズムの象徴とされたラジオ体操

★ジャンル【スポーツ】
★場所 台東区松が谷1-12-6
★最寄駅 東京メトロ銀座線稲荷町、田原町駅、つくばエクスプレス浅草駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
解説板の記述
「ラジオ体操は、昭和三年天皇陛下ご即位を記念し国民の健康増進を目的として郵政省(当時逓信省)簡易保険局が制定し、日本放送協会の電波にのせて全国に放送してから五十年国民の愛好するところとなり体力づくりに大きな役割を果たしつつあったが、第二次世界大戦の影響を受け昭和二十二年八月三十一日で放送も一時中断の止むなきに至った。その後、戦後の復興とともに、昭和二十六年五月六日、三年八ヶ月ぶりにラジオ体操の放送が再開され、昭和二十七年六月二十八日中継放送再開の第一声が、ここ松葉公園から全国に放送された。これを機として台東区ラジオ体操連盟が発足し、次いで東京都ラジオ体操会連盟及び全国ラジオ体操連盟と発展し今や全国に二千万人を突破する今日の隆盛を見るに至った。ここにラジオ体操制定五十年と中継放送再開発祥の地を記念して長く後世に伝える」

★解説
 東本願寺そば、かっぱ橋道具街西側にある松葉公園にあります。このあたりは震災、戦災で焦土と化したため街区が同じような碁盤の目で延々と続き、土地勘のない人間にはわかりにくいのでご注意ください。
 他でも指摘されていますが、「再開発祥の地」は日本語としておかしいですね。「再開の地」で十分でしょう。さらによくわからないのが、ここで始まったのが何か、という肝心な点です。ラジオ体操の放送自体は解説文にもあるように1951年5月6日に再開されています。ここで始まったのは碑文によると「中継放送再開」で1952年6月28日と書いてあります。中継放送というのは今でいう現場からの生中継でしょう。それを再開したというのですが、私が調べた範囲では、ラジオ体操再開以前にラジオ体操現場から生中継していたという事実が確認できませんでした。ラジオ体操は基本的に当時日比谷にあったNHKのスタジオから生放送されていました。ですからこの松葉公園からは「中継再開」ではなく「初中継」だった可能性もあるのですが、よくわかりません。資料お持ちの方いらしたら教えてください。
 まあ曖昧でよくわからないことの多いこの発祥の地ですが、「第二次世界大戦の影響を受け」て、なんで戦後の1947年に放送を中断したのかも不思議ですよね。戦局悪化とか空襲被害で戦時中に中断ならわかりやすいのです

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