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「我が国黎明期の牧場」(東京の酪農発祥の地域)

日本一の牛乳産地だった東京

★ジャンル【農業】
★場所 千代田区永田町2-10
★最寄駅 赤坂見附駅または溜池山王駅

★解説文
「江戸城内に社(やしろ)があった古い歴史をもつここ日枝神社は、かつては、南は芝、西は麹町、東は霊厳島小網町、北は神田に至る、広大な氏子地域をもっていましたが、それは明治の初め東京の酪農誕生の地域でもありました。明治6年にはすでに7軒の牧場があり、竹橋には、吉野文蔵が幕府の牧場を引き継ぎ、芝桜川には明治4年、洋式搾乳の先駆者前田留吉が、下谷には旧幕臣辻村義久が、麹町五番町には阪川当晴が、そして木挽町に越前屋守川幸吉が牧場を開きました。このように殆んどが江戸幕府崩壊による失業武士によるものでしたが、大官、貴族による開設も続出。男爵松尾臣善が飯田町、佐倉藩主堀田子爵が麻布、榎本武楊、大島圭介が神田猿楽町、さらに明治8〜9年の頃になると、松方正義が芝三田に、山県有朋が麹町三番町に、由利公正は木挽町に、桑名藩主松平定教は向柳原に、副島種臣は麹町霞ヶ関に、細川潤次郎が駿河台で牧場を開設したほか、平川町、永田町、三崎町、錦町などにもたくさんの乳牛が飼われており、日本の畜産の黎明はこの社の地域からスタートしています」

★解説
 ここは取り上げるか迷いました。発祥の「地域」だからです。特定のポイントではないのです。千代田区の日吉神社裏手にひっそりと掲げてありますが、なぜ日吉神社境内かというと、明治の初め頃日吉神社の氏子地域に次々と牧場が作られたから、というのです。うーーっむ。
 しかし日本全体を眺めても、酪農業の本格的発生が東京からだというのは意外で面白いので、取り上げさせていただきます。
 場所は実にわかりにくいです。なぜこんな神社裏手にしたのか不思議です。外堀通りに面した南側の参道ではなく、古くからの東側の山道でもなく、北側の道路に面した、公衆トイレと「山の茶屋」の間に立っています。
 解説文には明治6年(1873年)に東京には7軒の牧場があった、と書かれています。なぜ明治初期には都心部にこれほど牧場があったのでしょうか? それは開国したことで東京にも外国人が居住し、牛乳を飲むことを彼らが欲したからです。牛鍋屋の発生と似たような事情があるのです。
 そして当時は冷蔵技術がなかったので、消費地のすぐそばで牛を飼って牛乳を絞るしかありませんでした。また外国人だけでなく、日本人の間にも「西洋人と同じ食生活で体格向上を目指す」との目的から、牛乳飲用が急速に広まっていきまし

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