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小堀遠州の庭が残るゆかりの地/山城を歩けば内蔵助の石も/高梁市

★「日本の城下町を愉しむ」一覧
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★城郭 備中松山城

 小堀遠州(こぼり えんしゅう、政一=まさかず)というと茶の湯「遠州流」の祖であり、作庭でもその名を轟かせている。徳川家康らに仕え、城郭などの建築担当奉行を務めることが多かったため、作庭も行うようになったのだろう。元々は武人である。遠州は一時、幕府直轄地だった備中松山を12年ほど支配していた。遠州が作庭した庭が城下の頼久寺に残っており、国の史跡に指定されている。
 「鶴亀の庭」と言われ、巨石の立つ鶴島を中心に、後ろに亀島、手前に白砂の海があり、左からサツキの刈り込みで表された大波が迫って、背後の山が借景となっている。私は晩秋の夕暮れに訪れたが、借景の山の紅葉が陽で輝き、園内の紅葉と相まってカラフルでダイナミックな印象を受けた。これがまたサツキの咲く季節には違って見えるのだろう。
 頼久寺近くの石火矢町の武家屋敷通りには植原家折井家の屋敷が残る。いずれも100石から200石程度の中級武士の館で、畳ばかりでなく板の間にゴザの間があったり、武家の生活ぶりがわかる。
      ◇
 備中松山城といえば、最近は雲海の山城として有名である。高梁市街の盆地は、晩秋ともなるとほぼ毎日雲海が発生する。だがポスターで見るように雲と城がうまく絡む日はそうない。車があれば展望台まで市街から20分ほど

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