東大1

「東京大学発祥の地」「我が国の大学発祥地」

東大の発祥地は多数、しかも発祥時期は不明瞭

★ジャンル【学校】
★場所 千代田区神田錦町3−28
★最寄駅 JR、東京メトロ神保町駅

★碑文
 「当学士会館の現在の所在地は我が国の大学発祥地である。すなわち、明治十年(一八七七年)四月十二日に神田錦町三丁目に在った東京開成学校と神田和泉町から本郷元富士町に移転していた東京医学校が合併し、東京大学が創立された。創立当初は法学部・理学部・文学部・医学部の四学部を以て編成され、法学部・理学部・文学部の校舎は神田錦町三丁目の当地に設けられていた。明治十八年(一八八五年)法学部には文学部中の政治学及び理財学科が移され法政学部と改称され、また理学部の一部を分割した工芸学部が置かれた。このようにして東京大学は徐々に充実され明治十八年までに本郷への移転を完了した。したがって、この地が我が国の大学発祥地すなわち東京大学発祥の地ということになる。明治十九年三月東京大学は帝国大学と改称され、その時、それまで独立していた工部大学校と工芸学部が合併され工科大学となり、その後東京農林学校が農科大学として加えられ、法・医・工・文・理・農の六分科大学と大学院よりなる総合大学が生まれ帝国大学と名づけられた。更に、明治三十年(一八九七年)には京都帝国大学の設立に伴い、東京帝国大学と改称された。爾後明治四十年に東北帝国大学、明治四十四年に九州帝国大学、大正七年に北海道帝国大学、昭和六年に大阪帝国大学、昭和十四年に名古屋帝国大学が設立された他、戦後なくなったが大正十三年に京城帝国大学、昭和三年に台北帝国大学がそれぞれ設立された。昭和二十二年(一九四七年)に至って、右の7帝国大学はそれそれ東京大学、京都大学、東北大学、九州大学、北海道大学、大阪大学、名古屋大学と呼称が変更された。明治十九年七月創立の学士会は以上の九大学の卒業生等を以て組織され、その事業の一つとして、当学士会館を建設し、その経営に当たっている。」

★解説
 東京大学はじめ、旧帝大7大学の同窓会館である学士会館前にあります。
 「東京大学発祥」「我が国の大学発祥」という言葉には色々注釈が必要です。
 「東京大学発祥」というのは、この地にあった東京開成学校と現在の東大本郷キャンパスにあった東京医学校が合併して、その名が「東京大学」になった、ということです。東京開成学校にも東京医学校にも、それぞれ源流があり、特に東京開成学校を遡れば、徳川幕府の作った昌平黌や天文台にもそのルーツを求めることができます。名称にこだわればここ(と本郷)が「東京大学」発祥の地ですが、学問的ルーツを問うならば、実はその発祥は曖昧ではっきりしません。
 この近く、九段下の昭和館前には1856年(安政3年)に設けられた「蕃書調所跡」の解説板があり、その説明文には「東大法学部・文学部・理学部の前身です」とはっきり書かれています。蕃書調所は1862年に「洋書調所」と改称され、さらに翌年「開成所」と改称されて、組織も拡充されます。そして明治維新を迎えますが、新政府はこれをそのまま引き継ぎ、1869年(明治2年)に正式に開成学校として開校します。ちなみにこの学校は現在の開成高校などとは関係はありません。
 さらに開成学校は徳川幕府の昌平黌を引き継いだ昌平学校、医学所を引き継いだ

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