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「理化学研究所ここにありき」(理化学研究所発祥の地)

戦前は財閥だった理研、リコーの起源

★ジャンル【企業】 
★場所 文京区本駒込2-28-10
★最寄駅 JR、東京メトロ駒込駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
「理化学研究所(理研)は、大正6年(1917年)財団法人として設立された。理研は歴史上に偉大な足跡を残し、今もなお日本の近代科学の推進役を果たしている。世界初の原子模型を発表した長岡半太郎博士、KS鋼を発明した本多光太郎博士、世界初のビタミンB1抽出に成功した鈴木梅太郎博士、日本初のサイクロトロン建設をした仁科佳夫博士など、多くの著名な研究者たちがここに参集した。また、ノーベル賞を受賞した湯川秀樹博士、朝永振一郎博士なお奥の優れた研究者を輩出した。まさに、科学者たちの自由な楽園と呼ぶにふさわしい環境だった。理研は昭和23年(1948年)に改組され、仁科博士を初代社長とする株式会社科学研究所が設立された。この理研の流れを汲む科学研究所が科研製薬の前身である」

★解説
 六義園の南側、不忍通りに面して広々とした林がある文京グリーンコートのその林間と、裏の広場に面して案内板があります。
 タカジアスターゼアドレナリンを発見し、アメリカで事業を成功させていた高峰譲吉(たかみね じょうきち)は、世界の趨勢を見据え、1913年、日本に「国民科学研究所」を設置することを提唱します。
 当時アメリカではロックフェラー研究所カーネギーメロン研究所が相次いで設立され、イギリスではキャベンディッシュ研究所、ドイツでもカイザー・ヴィルヘルム協会(現マックス・プランク研究所)が設立されていました。高峯は「これからは機械工業から理化学工業の時代になる」と予言し、世界に遅れを取らない体制づくりを訴えました。
 これに賛同した渋沢栄一(しぶさわ えいいち)らが設立案を起草し、1915年になって国会で「理化学研究所創立」が決議されました。こうして1917年 渋沢を設立者総代として「財団法人理化学研究所」がこの地に設置されました。初代総裁は伏見宮貞愛(ふしみのみやさだなる)親王が総裁、菊池大麓(きくち だいろく)が所長に就任します。
 当初から、物理学、化学、工学、生物学、医科学など基礎研究から応用研

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