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「板紙発祥の地」

大日本印刷創業者が本の表紙のために創業

★ジャンル【産業】
★場所 荒川区南千住6-27 若宮八幡児童遊園内
★最寄駅 JR、東京メトロ南千住駅もしくは京成線千住大橋駅、東京メトロ町屋駅、東京メトロ三ノ輪駅、都電荒川線荒川一中前停留所

★解説文
「明治21年8月10日 東京板紙会社 社長佐久間貞一が、この地に工場を設立し、翌22年(1889)6月新式抄紙機を英国から輸入するとともに外国人技師を雇い、稲藁を原料としてボール紙の生産を開始した。 わが国に於いて本格的にボール紙(板紙、段ボール原紙等)を機械製造したのは、これが最初のことである。以来需要は年を追って増加し、昭和63年(1988)には1000万屯を超えるに至った。原料も故藁工品(空俵等)から故紙へと変遷した。その間に多くの関連業界が成長し、地域の発展にも寄与した。 このたび、荒川区のご協力により旧工場跡地に製造開始100年を記念するとともに、先人達の苦労に深い敬意と感謝を表しこれを建立した」

★解説
 どの駅からも徒歩10分以上かかりますが、南千住駅がやや近いです。南千住駅と町屋駅の間の荒川区隅田川ベリにアクロシティという広大なマンション群があります。その道路を挟んだ南東に小さな神社がある若宮八幡児童遊園があり、その植え込みにあります。ちなみにアクロシティは1995年の国松警察庁長官狙撃事件の現場です。そしてこの板紙工場の跡地です。

 板紙というのは厳密な定義はありませんが、印刷物や文字を書く用途以外の厚い紙のことを指し、段ボールや紙容器、その他建築資材などに使う紙類のことです。紙を何回もすき重ねて作ります。
 板紙は1817年にイギリスで商品化され、本の表紙の芯などに使われたようです。日本では約70年遅れで生産が始まったわけですが、それまでには紆余曲折がありました。
 創業者の佐久間貞一(さくま ていいち)は旗本の出身で、秀英舎(現在の大日本印刷)の創業者として知られます。秀英舎は日本でも初期の活版印刷所として1876年に銀座で創業します。試行錯誤で操業を続ける中、啓蒙思想家・中村正直(なかむら まさなお)が翻訳した「改正西国立志編」の印刷を請け負うことになります。
 「西国立志伝」はすでに1871年に出版されて大ベストセラーとなっており、また

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