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あの夏で曲ってる

浪漫のない男である。

いや、僕が。

家族で出かけて、お花がたくさん咲いているような場所に行っても、

「虫とかやだな」

としか思えない。
花自体の造形の美しさや香りよりも、蜜を求めて花の周りを飛び回るハチ的な昆虫が気になって仕方が無い。いや、ちゃんとハチかどうか確かめてはいないんだけど。なんか雰囲気的に、何かしらの針で刺してきそうな。気まぐれで突然攻撃してきそうな、そんな事を気にしてしまう。理屈とか道徳が通用しないから。あいつら。
大概そういうときは「ほら、パパ見て!花が綺麗だよ!」と感動している嫁や娘に「ほんとだねー」と言葉を返す。言うまでもないが、このとき僕は花なんかほとんど見ていない。0.2秒くらいしか見ていない。トータルで。さぞかし、花もビックリしているだろう。
それよりも一刻も早く安全な場所に避難したい。

このように、僕には実に浪漫がない。我ながらつまらない男だと思う。

「夏だし、キャンプとか行きたいね!BBQとか、キャンプファイヤーとか、肝試しとかやってさ!敢えてスマホも触らずにさ!テントでトランプとかやってさ!満天の星空の下とかさ、大自然の中で過ごす時間とか素敵じゃない?」

なんて粋な誘いに対しても、


「虫とかやだな」

としか思えない。結局。とにかく虫がやだ。

そんな僕ではあるが、少年時代は可愛いところもあった。
夜中のトイレはちゃんと怖かったし、オバケもしっかり信じていた。別に何を見たワケでもなければ、体験したワケもないのに根拠もなく信じていた。ただ、「超能力」というもの。これだけは、この目で見てしまった。それ以来、その手のジャンルの話は一笑に付すことが出来ない。

あれは確か、小学四年生の頃の話だ。



近所の友達の一人である“てっくん”は人一倍負けず嫌いだった。

何か新しいおもちゃを持ってる友達が居れば
「それならうちにもっと良いのがあるよ」
とか言うし、勝負事でどんなに負けても
「もう一回」
と自分が勝つまで何度でもコンテニューしまくるし、挙句の果てには
「あんなのズルじゃん」
と、全てを相手の所為にして、その勝負自体を無効試合として処理するような全力少年だった。

ちなみに勝ったら勝ったで、勝利の雄たけびを上げながら、気が触れたかのようにそこら中を走り回って全身で喜びを表現するような全力少年でもあった。さっきから何?全力少年とか。鬱陶しいな。

今考えれば全然可愛くないし、何が楽しくてつるんでいたのか全くわからないが、それでも当時は毎日のように一緒になって遊んでいた。


夏休み中の、とある一日のことだ。
「新しいゲームがあるからうちでやろう」
という、てっくんの誘いに乗り、朝から二人でゲームをやっていた僕は、ふと台所から漂ってくるカレーの匂いで、今がお昼時だという事に気づいた。

「てっくん、僕、一回お昼ご飯を食べに帰るよ」

そう言う僕に、

「うちで食べていけばいいじゃん」

と事も無げに返すてっくん。

僕はお母さん以外の人が作った料理はあまり口に入れたくないし、もっと言えば、友達の親とは言え知らない人の前で食事をするというのが何よりも耐えられないタイプの全力少年だったので、
「えっ、いいよ、迷惑だろうし、お母さんも待ってるし」
と、なんとかして断ろうとしたのだが、てっくんママから
「お母さんには連絡しといたからうちで食べていきなさい」
と直で言われ、逃げ道は完全に塞がれた。
(てっくんママと僕の母親は仲が良かったのでこういう事がよくあった)

仕方が無く、僕はてっくんと、てっくんママの三人でお昼ご飯のカレーライスを食べることになった。

気まずい思いをしながらも椅子に座り、カレーライスが運ばれてくるのを待つ。
当時、夏休みのお昼時にテレビでよくやっていた超常現象系の番組をなんとなく眺めながら、僕は気を紛らわせていた。「超能力特集!!」とテロップが出ている。今日は超能力の回らしい。心霊特集の方が良かったなぁ、なんて思いながらブラウン管を見つめる。

テーブルに麦茶、そしてカレーライスとスプーンと並べ終わったてっくんママは僕の視線に気づいたのか、少しの間テレビを見た後、思いついたかのように僕たちにこう言った。

「スプーン曲げ、挑戦してみる?」

ポカンとした顔で思わずてっくんママを見上げる僕とてっくん。
番組では今まさにゲストの超能力者が「テレビの前の皆さんにパワーを送りますのでスプーンを持って構えてください」と言っている。
いつの間にか右手にスプーンを握って準備万端なてっくんママは、僕たち二人にもスプーンを握らせ、椅子に座ってテレビのブラウン管に向き直った。

「パワーを送ってくれるんだって。やってみようよ」

と軽い調子で、しかしどこか真剣な眼差しで握ったスプーンを眼前に突き出すてっくんママ。
僕とてっくんもなんとなく真剣にテレビに視線を向けながらスプーンを構えた。

程なくして、超能力者がテレビの画面に向かって
「きぇええええい!!!」
とパワーを送った。というか、送ったらしい。
「らしい」というのは僕のスプーンは一切曲がらなかったからだ。
勿論てっくんのも曲がっていない。
それよりも超能力者とやらが発した「きぇえええええい!!!」が面白くて、思わず吹き出した僕とてっくんは二人でそれを早速真似て大笑いしながら、てっくんママを見た。


てっくんママのスプーンが曲がっていた。


呆然とした様子で曲がったスプーンを眺めるてっくんママ。
曲げた自分が一番驚いているようで、「えっ、えっ、なにこれ?」と戸惑っている。

僕は思わず、
「すげー!!どうやったの?どうやったの?」
とてっくんママに駆け寄りはしゃいで周りをピョンピョン飛び跳ねた。

曰く、「きぇえええええい!!!」の直後、体が一瞬熱くなったかと思うと手の中でスプーンがグニャリと曲がったらしい。そのとき力は特に入れていなかった、との事だ。

僕は握っていた同じ作りのスプーンを眺めながら、それが決して力任せに曲げられるような代物ではないことを確認して、ただただ感動を抑えきれなかった。とんでもないものを見てしまった、と。

「すごい!すごいよ!!ねぇ、てっくん!!」

そう言って振り返ると、そこには目に涙を溜め、わなわなと震えるてっくんが居た。

「……てっくん?」

尋常ではない様子に恐る恐る声を掛ける僕に、てっくんは

「僕だってできるよ!!」

と絶叫した。
負けず嫌いでクソめんどくせーてっくんが覚醒してしまった。
我々は恐ろしいものを目覚めさせてしまったのだ。

「僕だって体熱かったもん!」

半ベソをかきながらキーキー怒るてっくん。
僕はそれを聞きながら「うそーん、全然そんな感じじゃなかったじゃーん」とか思ったけど、それだけは口に出してはいけない。それが火に油を注ぐ行為になる事を熟知していたからだ。こういうときは余計なことは一切言わずに、ただ「うんうん」と頷くしかない。そういうものなのだ。自然の摂理だ。

しかし、その直後てっくんが信じられない事を言い出した。


「裕くん!次はちゃんと曲げるから、もう一回僕にパワーを送ってよ!」


俺さっき送ってねーよ。なんだ「もう一回」って。

もう回想シーンからおかしくなってるじゃないか。テレビの超能力者がパワーを送っていたのに。悔しさのあまり記憶力が完全にバグってるじゃん。大丈夫か?てっくん。

そんな驚きをよそに僕に向かってスプーンを構えるてっくん。

狼狽えながらてっくんママに視線を向けると、てっくんママは「また始まった……」と言わんばかりにそそくさと自分で曲げたスプーンを持って
「新しいのに取り替えないと」
とか白々しく独り言を言いながら台所に逃げた。


「送ってよ!!早く!!!!」

てっくんの怒声が響く。



やるしかなかった。


「……き、きぇええええええええい!!!」

奇声を上げる僕。そして

「体が熱い!!!!」

と、その場に倒れ込んで、のたうち回るてっくん。

依然、スプーンは曲がらない。

「もっとだよ!!もう少しで曲がるから!!」
と、てっくんは尚も僕を見上げながら叫ぶ。
僕はただただ「帰りたいなぁ」と思ったが、そうも言ってられない。こうしている間にもてっくんは僕から送られてくるパワーを待っている。


「きぇええええええええい!!!」

「体が熱い!!!」


「きぇええええええええい!!!」

「体が熱い!!!」


「きぇええええええええい!!!」

「体が熱い!!!」


「きぇええええええええい!!!」


「体 が 熱 い ! ! !」





スプーンは曲がらなかった。


あまりに絶叫し過ぎて咳き込む僕を尻目に、てっくんは「もう少しなんだけどなぁ」と呟いてさっさとカレーライスを食べ始め、納得のいかない気持ちを抑えながら僕もそれに続いた。

それからというもの、てっくんママは遊びに来た僕の家のスプーンや、出先の喫茶店やファミレスのスプーンをバシバシ曲げまくった。どんなに頑丈な作りのスプーンでも曲げに曲げた。
てっくんママに曲げられないスプーンはない。そう信じていたし、どうかしたらそろそろテレビ局に電話しようとすら思っていたが、その騒動から二ヶ月ほどしたら自然とてっくんママの能力は薄まり、そのうち一切曲げられなくなった。


つい先日。
昼の食卓に出てきたカレーライスを見て、あの日の記憶が蘇った。

「元々借りものみたいなものだしね」
なんて言いながらも少し名残惜しそうなてっくんママの表情を、ふと思い出す。

あれはなんだったのだろう。

巧妙に仕掛けられたトリックがあって僕はまんまと騙されたのか。
それとも本当に一瞬だけとは言え超能力に目覚めてしまったのか。

真実はもうわからない。

でも、どちらにしても、あの夏の思い出は僕の記憶に鮮明に残った。
僕とてっくんの絶叫と共に。


「すっかり暑くなってきて嫌になっちゃう」

なんて言いながら、食事中でも自由気ままな娘の方を気にしながら嫁がカレーライスを頬張る。

僕は窓の外に広がる青空と白い雲のコントラストを眺めながら、
「ほんとだね」
といつものように返し、目を細めた。



今年も、夏が来る。




虫とかやだな。



お金は好きです。