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4.つつじヶ丘ユースフル

お金が好きだ。あって困ることはない。

いきなりこんな俗に塗れた一文から始まるのもどうかと思うが、でもお金は大事。ホント。
上京してすぐの頃、僕は本当にお金がなかった。そもそもの話が“上京”というものは普通、多少なりとも金銭的な準備を進めて決行するものだと思われるが、僕は持ち前の「なんとかなるっしょ、俺まだ若いし」といった世の中をナメ腐った考えで実家を飛び出してきてしまった為、バイト先が決まって最初のお給料が入るまでの間、そしてお給料を貰えるようになった後も各種支払い等の関係で、とにかく明日のメシにも困るような生活を数カ月ほど続けた。
一応、保育園時代からの幼馴染の友人とルームシェアをしていたが、基本的に金の貸し借りをした記憶がない。特に表立って「そういうのはナシで」なんて取り決めはなかったように思うが、不思議とどんなに苦しくても余程じゃない限りはお互いを頼らなかった。きっと無意識のうちに、それが人間関係を壊す一番の原因だっていうのを肌で感じていたのだろう。

写真の専門学校を卒業して撮影スタジオか何かに就職していた友人も生活はけして楽ではなかったようで、よく副業としてアルバイトをしていた。肉体労働系もやっていたし、警備や整備などの仕事もしていた。その日払いでお給料がもらえるのが好都合だったらしい。
そういえば、ある日たまたま僕がお休みの日に家でダラダラしていたら、友人が交通整備のアルバイトから帰ってきたのだが、何やらプリプリ怒っている。理由を聞いてみたら、片側通行の道路を不慣れながらも誘導していたら、そのぎこちなさにイラついたトラックの運転手が通り過ぎる際に
「ちゃんとやれよ!タコ!」
と罵倒してきたらしく、自分は人なのにタコと言われたことがどうしても納得いかなかった友人はずっと怒りが収まらないそうだった。
「どう考えてもおかしいよな、あいつ。俺、人なのに。タコじゃないのに」
とひたすら悔しそうに呟く友人を見て、僕は世間の無情さを知り、ただ涙が止まらなかった。笑い過ぎて。

さて。
そんな貧乏生活を送る我々であったが、いくら金が無くとも生き延びる為にまず欠かせないのが“食”だ。
一応バイト先でまかないが出るので食うのには困らなかったが、問題はバイトが休みの日だった。米だけは実家から送られてくるので、最悪それだけでもなんとかなるが、やはり二十歳そこそこの成人男性が白米だけでは満足できるはずもなく。お金が無いなりに創意工夫を凝らして日々の空腹を凌いでいた。
例えば。近所にあった「SHOP99」でツナの缶詰(三個入り)とマヨネーズを買ってきて、炊きたてのご飯の上にそのツナとマヨネーズと醤油を混ぜたものを乗せ、更に追加でマヨネーズを上から大量にかけて完成する『ツナとマヨの親子丼』は我ながら画期的だった。マヨラーな僕としてはこの上なく幸せなひとときであったし、これを食べた後は胸やけが尋常ではなく、しばらく食欲なんてものが吹っ飛ぶのも経済的な面で非常に魅力的だった。
同居していた友人に、初めてこれを振舞ったときに言われた言葉は今でも忘れられない。

「……金なら貸してやるから」

心底、憐れむような顔で友人は一言だけそう言った。「俺の最高の逸品にケチつける気かこの野郎」と思ったが、せっかくそう言ってくれたので金は借りることにした。
また
「あとツナとマヨネーズは何一つ親子じゃない。ネーミングを変えろ」
とも言われたけど、ちょっと何言ってるのかわからなかったのでスルーしておいた。なんなんだろう。何言ってんだ、あのタコ。

貧乏生活の苦しさを実感したのは食だけではなかった。
当時ルームシェアをしていた2LDKの部屋にはエアコンが設置されていなかった。僕が上京するという話を聞いた友人が
「どうせ今のところから引っ越そうと思っていたから、広めの物件を借りてあいつが転がり込めるようにしてやろう」
という最高に粋な計らいをしてくれたのだが、如何せん詰めが甘かった。
内見のときに不動産屋に「エアコン完備」と言われ、ホイホイついて行ったら一切設置されておらず
「あれ……?エアコンは……?」
と、おずおずと問い掛けると
「あー、ついてなかったっすね!でも、もう、いいじゃないですか!
と何故か半ギレで押し切られて「じゃ、じゃあここで……」となったらしい。
正直、屋根と壁がある家に寝泊まり出来るだけで僕としては十分ありがたかったが、扇風機だけで過ごす熱帯夜のあの寝苦しさは今でも思い出せる。しかも窓を開けるとすぐ外に中央自動車道が通っていてうるさくて寝られず、夏の間になると慢性的な睡眠不足に陥った。
ある日ついに耐え切れなくなった僕は、どうにかして涼を取ろうと脳みそをフル回転して一つの答えを導き出す。その方法とは
『飲みきった三ツ矢サイダーのペットボトルに水を入れ、冷凍庫で凍らせてから布を巻き、就寝時に足の裏や脇の下を冷やしたり抱きしめたりする』
といったエジソンもビックリの大発明である。いろいろ実験を重ねたが三ツ矢サイダーのペットボトルが一番具合が良かった。変な凹凸もなく、一番均等に僕の体を冷やしてくれた。アサヒ飲料様には足を向けて眠れない。

これについても実験と試作を重ねたのちに友人に熱いプレゼンを行ったが、またもやかわいそうな人を見るような目で僕を見据え
「次の休日にエアコンを買いに行こう。金は俺がちょっと多めに出すから」
と言われ、非常に悔しい思いはしたが、お金を多めに出してくれるって言うので即行で許してあげた。



他にも貧乏エピソードはたくさんあるが、とにかく「金が無い」というだけで日々の閉塞感や焦燥感、不安感が物凄くて、当時はそれなりにしんどかった。しんどかったはずなんだけど。
それでも、楽しかったんだよなぁ。
なんだったんだろう。友人も一緒だったのが大きいのかもしれない。
もう今となってはお互い家庭を持って、収入もそれなりに落ち着いている。何かが壊れれば新しいものをすぐに買えるし、足りないものを足りないままにせずともよくなった。生きるという点においては不自由はほとんどない。
だからなのだろうか。
たまに「あの頃に戻れたら楽しいだろうな」なんて思わずにはいられないのだ。子供が大きくなって友人も僕もジジイになったら、そういうのをやっても面白いかもしれない。

……いや、やっぱ無理かも。無理無理。キツいもん。戻りたくないよ。老いてまで無茶はしたくない。あいつもタコには戻りたくないだろう。
まぁ、そんな感じで。
そういった過去もあったからこそ、僕はこう言い切る。


お金が好きだ。あって困ることはない。



お金は好きです。