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牙はまだ生えておる

僕は一日に一体何度「すみません」と言うのだろう。
お仕事をしながら、ふと気になってしまった。
気持ちだけはいつまでも若いつもりでいるが、もう年齢的にも立派な大人である。社会人としてもそれなりの立ち振る舞いをしなくてはならない。
それに妻子のある身でもある。本能のままに、思うままに行動する事には若干の憧れはあるが、それをやってしまうことにより、社会的にも経済的にも家族が肩身の狭い思いをするのはさすがに忍びない。
それに自分からわざわざ疲れる案件を背負いこむなんて馬鹿馬鹿しい。おとなしく適当にやり過ごせば何事もなく今日と変わらない明日がやって来る。今あるうちの最低限の平和は続いていく。それならその方がいいに決まっている。

そうやって僕は毎日毎日、己を殺し続けて生きている。
こう書くと言葉としては矛盾しているかもしれないが、でもそうやって己を殺して生きているのはきっと僕だけではないはずだ。普通に大人みたいな顔して街を歩いているあの人も、「左様でございます」なんて平日朝から夕方までの間にしか使わない言葉で電話に向かって話しているあの人も。その瞬間その瞬間でいろんな歯車を回す為にグッと堪えている。
いいんだ、これで。もういいの。だってもういい年齢した大人だし。いつまでもさ、十代や二十代の頃のようなスタンスでやってらんないワケ。守らないといけないものもあんのよ。多少「おや?」なんて思っても「まぁいいか。ここで変にアレしても、アレだし…」ってスルーしちゃえばさ。いいのいいの。いろいろと躱したり、受け流したりできるから。
「Punk Is Dead」だって?あぁ、そうかもね。十代の頃はこの言葉に反発もしたけど、今はもうご覧の通り「あぁ、そうかもね」だ。昔の自分がこれを読んだら顔を真っ赤にして食って掛かるだろうな。うん。そうかもね。うーん……。

いや。
そうなのか?

お風呂上りに鏡を見る。だらしのないワガママBODYとすっかり鋭さを失くした双眸がぼんやりとこちらを見返してくる。問い掛けるように、じっと顔を覗き込んでくる。そうなのか?僕の中のパンクは死んだのか?
では日々の生活の中で、理不尽な目に遭ったり、不条理を実感するたびに心の隅っこで燃え上がるあの衝動は一体なんだ?紛れもない怒りではないか。あれこそが僕のパンクス精神を燃え上がらせる為に最も重要なものではないか。種火ではないか。
僕ももういい大人である。
大切なのは「おかしくね?」と思ったことに抗って、反発して、反撃することなのではなく。その「おかしくね?」と思える感性を錆び付かせないことなのではないか。そしてそれに対して真っ当に怒ること。これが大切なのだ。表に出すかどうかは別の話だ。

挨拶しても返事が無かったり、列に割り込まれたり、ありえない場所に立って道を塞がれていたり、「あとで電話します」とか言っておきながら全然かけてこないでこっちから電話したら「あぁ、その件ですか」みたいな普通の返し方をされたりだとか、何が気にくわねぇのか知らんけど千円札を何回入れても返ってくる券売機とか、改札の前にきてやっと定期入れを出そうと横に避けもせずにその場で足を止めて鞄をゴソゴソしだす奴とか、癖なのかなんなのか僕に向かって「うん」って相槌を打つ部下とか、ご飯大盛って言ったのに並盛で盛って来られたりだとか、猫ちゃんの方から膝に乗ってきたからナデナデしてただけなのに「ルールなので抱き上げないでください」とキャンキャン注意してきた猫カフェの店員さんとか、無料期間が終わったらそのまま終わればいいのに「何も言ってこないからいいのかと思いました」みたいな感じでしれっと有料会員にされてたりとか、土日に連絡してきて「お休みのところ申し訳ございません」の一言もない奴とか、夏は嫌いだって散々言ってんのに毎年毎年性懲りもなく暑くなる気温とか太陽とか、初対面なのにも関わらず「落語家さんみたいな名前してるしもっと面白い話をする人だと思ったのに」とか言われたりとか、遠方から引っ越してきたっていうただそれだけの理由で幼少時代の僕を散々除け者にしてイジメ倒してくれたご近所の大人の皆々様とその馬鹿な遺伝子を継いだクソガキどもとか、地毛が茶色いだけなのに「ロクでもない連中と付き合って感化されて髪の毛なんぞ染めて」とか言って仲間まで侮辱してきた中学の生徒指導の教員とか、休み時間にトイレから帰ってきたらたいして話したこともないのに僕の机に座ってめちゃくちゃ話が盛り上がってた陽キャのクラスメートとか、「お前なんかどうせ売れるワケない」って根拠もなくこき下ろしてきやがったテメーもまったく売れてないバンドマンの先輩とかよ。まぁこれは的中しちゃったんだけど。キーッ!悔しー!

とにかく。
その場ではなんとかやり過ごしてきたが、今もまだ思い出してはモヤモヤするし、全員漏れなく「Fuck off」だ。
だからと言っても中指を立てることなく何事もないような顔をして心の中で「今に見てろよ」と黒い炎を燃やすのだ。

怒りの感情は悪ではない。敵でもない。
それをそのままチャージしてもいい。チャージしたものを一定量まで貯めて燃やしたり、捨てたりしてもいい。
いや、そもそも貯める必要もない。その場で捨ててもいいし、突っ返してもいい。かもしれない。わかんないけど。
その手段をしっかりと考えて正しく実行すればいいだけ。
僕にとってのそれが“筆を執る”ってだけのことだ。矢も楯もたまらず筆を執る。怒りを怒りのままに発露させても構わないし、僕のように笑いへ変換するような奇特な書き手が存在したっていい。表現は自由だ。
これこそがいろんな経験をして、時を経て得た僕の今のパンクス精神である。文学パンクスだ。

ハッキリ言って僕はおとなしい。
公私ともに表面上は絶対に穏やかであることが僕のポリシーだ。
家族からも会社からも「やさしい性格」というのが僕に与えられた評価であり、役割でもある。
声を荒げることなんかないし、他人にも干渉しない。
なんとなく現状は把握していても特に何かアクションを起こすワケでもなく、ただぼんやりとそこに居る。
なんていうか、実家で飼ってるいつも寝てばっかりのやる気のない犬のような印象だ。吠えもしない。やっと口を開いたかと思えば「バフッ……」と、もはや吠えているのか吐息なのかもわからん声を出すだけだ。
噛みついたりなんてまずしないし唸りもしない。

だがしかし、牙はまだ生えておる。





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