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僕とコンテストと愛と酒とドラッグとセックスとバイクと暴力と呪われし姫君


皆様、ご無沙汰しております。
逆佐亭 裕らくと申します。
今日は名前だけでも覚えて帰ってください。

表題にもある通り、今回はコンテストについてちょっとだけ語らせていただきたく筆を執った次第でございます。

愛と酒とドラッグとセックスとバイクと暴力と呪われし姫君については一切語る気はないので、それを目的に来られた方はすぐに回れ右して一目散にお引き取りください。「じゃあなんで書いたんや」と。そうお思いでしょう。わかりますわかります。至極当然の疑問と言えましょう。それに関しましては、もう、ただの文字数稼ぎです。あと「僕とコンテスト」だけだと、なんだかガチ過ぎてあまり面白くない話が始まりそうじゃないですか。どうせ今回も九割方しょーもない話が展開されていくので、今回に限っては変に構えられても困るなぁ、という、そういうアレです。

それから、これ、たまにやるのですが。今回、テーマだけ大きく決めて、あとはまったくのノープランで書き始めております。今この瞬間もまっさらの状態で思いつくままにタイピングを行っております。僕自身この記事がどう転んでいくかまったく予想もつきません。フリースタイルnoteです。展開もオチも書きながら決めます。あわわわわ。どうなることやら。普段はしつこいくらいにネタを練り、推敲に推敲を重ね、書き終わった後も何度も読み返してあれやこれやとやっておりますが、そんな僕がノープランで書いております。しかも「#呑みながら書きました」でもなんでもないのに。怖いですね。実に怖い。中学んときに友達の家でやった初代バイオくらい怖い。ドキドキしながら進めていきます。生放送みたいな感じですかね。放送禁止用語だけは気を付けようと思います。

おっと。前置きが長くなってしまいました。

この度、久々にnote公式のコンテストに参加させていただきました。



“キリン × note”という事で。

キリンが攻めでnoteが受けなんでしょうか?あ、そういう意味じゃないみたいですね。失礼しました。曇りなき眼で見ていきますね。

読んで字の如く、キリンさんとnoteさんがコラボさんした公式さんのコンテストさんなワケです。そんな僕は裕らくさんです。こんにちは。

盛大に「知らんがなポイント」を設置しますが、僕が公式のコンテストに参加したのは約七カ月ぶりです。……あ、どうぞ。ここです。「知らんがな」ってつっこむポイント。

cakesの連載を賭けた、あのコンテスト以来なんですね。けっこう大きめのコンテストだったので皆様の記憶にも新しいのではないでしょうか。

一応、僕の応募作も貼っておきますか。個人的には好きな作品なので。超漏れたけど。



その間まったくコンテスト的なものには参加しなかった、と言えば嘘になります。私設賞や個人企画には幾つか参加させていただきました。どれも非常に楽しませていただきましたし、中には賞までいただけたものもありました。嬉しかったなぁ。あれ。

ただ、「公式」と名の付くコンテストには参加しませんでした。幾つかやっていたはずですが、すべてスルーしました。それはもう、余すことなく。

何故か。

なんとなく書けなかったとか、本職のお仕事が忙しかったとか。それも勿論あるのですが、それはあくまでもサブ的なもので。

もう純度百パーセントの真実を書かせていただきますと、

「どうせ選ばれないんだから頑張って書くの馬鹿らしくない?」

この一言に尽きました。

僕だって人間です。それもまぁまぁ俗な。やっぱやるからには成果は出したいし、書いたからには読んで欲しいし、読んでもらえたからにはスキになってほしいし、スキな人の数がそれなりになってくれば「これ、いったんじゃね?」ってなるものです。

しかし、その淡い期待はことごとく打ち砕かれていきました。

いや、それ自体は仕方が無い。それに関して恨み節を言うつもりは毛頭ございません。自分でもわかってはいるのです。

僕の作風は、所謂“公の場で選ばれる類のもの”ではない。

言うまでもなく、作風だけが原因ではなく。単純に力量が足りなかったり、筆力ってんですか?表現力というか、語彙力?そういうのが圧倒的に足りてないのも大きな要因でしょう。そういうのもあって御眼鏡に適わないだけ、というのも多分にあるでしょう。その辺もちゃんとわかってますよ。ええ。

まぁしかし、この手の作品が受賞しないというのも一つの事実。

自慢でもなんでもないですが、大賞こそないけど、過去に受賞したことは何度かあります。しかし、その「何度か」は僕の真骨頂ではなく、少し捻った作品であったり、「笑い」よりも「泣き」が多めに配合されたものでありました。そうなんです。わかっているのです。選ばれる作風がどういう方向性で書かれるものなのか。
“必勝法”なんてものではありませんが、

「この方向性で、こういう感じのを書けば最低でもある程度の所に引っ掛かりはするんだろうな」

というラインは、なんとなく理解しております。勘違いの可能性も込々で。

それで、過去に受賞させて頂いた作品というのは往々にして、その辺の条件を踏襲したものでした。ぼんやりと、本当にぼんやりと、ですが。わかったような気がしたのです。僕はわかってしまった。悲しい事に。

“選ばれる”確率を限りなく上げる方法と、

そして、それをやればやるほど、自分が本当にやりたい事から遠ざかっていく事実に。


これが、半年前のことです。

当然ながら、人知れず傷つきましたし、それなりの絶望感も覚えました。しかし、そこは生来の諦めの早さと言いますか、思考の転換と言いますか。すぐに「じゃあ、自分に向いていないそういう一切合切は捨てて、欲も捨てて、シンプルに楽しんで書こう」という風に考えはシフトしていきました。答えが出たのが早かったのもあり、この半年間で完全にその方向性で固まりつつあります。もう少し時間が経てば、より完成されたスタンスになるでしょう。心から「それでいいじゃんか」と思えますし、それこそが僕が目指すところなのでしょう。

なのに、何故、今回の公式コンテストに参加したのか。

答えはたった一つです。

ここにきて固まりつつある(完成されつつある、とは敢えて書きません)僕の作風と、創作に対するスタンスで賞レースに挑んでみるのもアリなんじゃないか、と。

それもまた一興ではないか、と。そう思ったんですね。

“コンテストのテーマに寄せて書く作品”が大半を占めているし、実際に受賞するのもそういった作品でしょう。心に、感性にすっと入ってきて大切な何かを残していくのもそういう作品です。正統派とでも言いますか。それを真似ることはできます。それっぽく寄せて書くことも多分できます。やってないからわかんないけど。実際にやったら「ちょっと違うなぁ」ってなるんだろうけど。

しかし、僕はこの一本鎗で挑もうと思います。刺さる確率、命中率が下がったとしても。

僕はもう寄せません。テーマは守ります。しかし、自分の作風を曲げてまで、手に馴染んでいない武器に持ち替えてまで、戦いません。そんな器用な人間でもないしね。

逆に言えば、テーマが僕に寄せなさい。こちらからの最大限の譲歩はしています。だから、そちらがもっと歩み寄りなさい。僕は他の応募者の皆様のように親切にそちらに歩み寄って、寄り添って書く気はない。そちらが僕に譲りなさい。

その代わり、それなりのものは用意しますよ。

……という。そういう楽しみ方をしていこうと思うんです。

祭りなんか楽しみ方は人それぞれ。

僕は大当たりか大外れか、クリティカルヒットかダメージ0か。
ドラクエでいうところの「まじんぎり」です。

そのどちらかで楽しむと決めました。noteで物を書くのが、コンテストに参加するのが、ますます面白くなりそうです。



それでは、“選ぶ側”の皆様。


そっちがどうしても僕を選びたいっていうなら、別に選ばれてあげてもいいよ。


そんな感じ。


御後が宜しい様で。




お金は好きです。