踵落とす箱、君に朝が降る
オバケとかそういう類のものを題材にしたお話を書くと、良くないことが起こるという噂を聞いたことがある。
ホラー映画を撮影していて有り得ない映像が撮れたり、ホラー小説や漫画を描いていると不気味な現象が頻発したり、なんかそういうのがあったりするらしい。
先日、ホラーというか、オカルトというか、なんかその辺に片足を突っ込んだかのような小説を書いた。
実は、これを書き上げてからしばらくの間、密かにその噂を思い出して内心ビクビクしながら日々を過ごしていた。
幸い、何事もなくここまで来ていたのだが。
ついに、というか、なんというか。今朝、夢の中でオバケが出てきた。
これは呪いなのだろうか。祟りなのだろうか。
久々に、起きた瞬間に心底ホッとして、その直後に自嘲気味に笑ってしまった。
他人の夢の話ほどクソ暇なものはない。それはわかっている。わかってはいるが、これはどうしても書き記しておきたかったので筆を執る。
この手記は日曜日の朝という最高に幸せな時間を、己の夢によってぶち壊された哀れな男の慟哭と呪詛である。
いや、まぁ、全然、そんな大した話でもないんだけど。
*
時刻は丑三つ時。
僕は高名な霊媒師と共に、ある日本家屋に居た。古いけど立派な建物だ。
どうもこの家の持ち主から除霊の依頼を受けたらしい。
当然、夢の中の話なので、この高名な霊媒師さんがどなたなのかは詳しくは知らないし、平然と依頼を受けたとか言ってるけど今まで一度もそんなのした事が無い。あくまでもそういう設定だ。
目の前には古びた大きな箱が置かれていて、夜な夜なこの箱から不気味な呻き声や物音がするというのだ。しかも、下手に関わると呪われたり、祟りがアレしたりするやつらしい。いや、知らないけど。おそらくそういうやつだと思う。
日が暮れる前に、霊媒師さんが結界を張ってくれて、
「危険な状況になったらこの中に入ってください。ここに居れば安全です」
と約束してくれていた。どうも、僕はお祓いの場においてはただの邪魔者らしいので、その中でおとなしくしているのが賢明なようだ。っていうか、なんで呼んだんだろう。僕の性格からして自分からこんな怖い所に来たがるはずはないので、おそらく呼ばれてきたのだろう。なのにいざ来たら「邪魔だからじっとしてなさい」とか、なんなのマジで。目が覚めた今となってはそこが非常に引っ掛かるが、夢の中の僕は「はい、わかりました」と素直に答えていた。
カリカリ……カリカリ……。
目の前の箱の中から引っ掻くような音が聞こえだした。一気に緊張感が走る。霊媒師さんは「危なくなったら結界に逃げてくださいね」と念を押し、箱の前に座ってお経を唱えだす。
しばらく息を呑んで事の成り行きを見ていたのだが、十分、ニ十分と経ってもカリカリ引っ掻く音と、霊媒師さんのお経の声しか聞こえない。状況が全然動かない。最初こそドキドキハラハラしていた僕だったが、段々と飽きてきた。というか、なんだかイライラしてきた。怨霊に。
「こちとらWi-Fiもないこの環境で暇で暇で仕方が無くて、しかも眠たいのを我慢してこの時間まで起きて待ってたのに、なんでこんな地味な展開に付き合わされなきゃいかんのだ」
と。しかも、いざ派手な展開になっても僕は特にする事が無いので結界の中でおとなしくするだけなのだ。
「今ならちょっとくらい調子に乗っても大丈夫なのではないか……」
僕の悪い癖が出た。
おもむろに立ち上がり、結界から出る。霊媒師さんは気づいていない。もしくは気づいているけど、今はまだそこまで危ない状況でもないのかお経を詠み続けている。僕は無遠慮に箱にずんずんと近づいた。
箱からは相変わらずカリカリ音が聞こえるだけだ。僕は意を決して、箱に向かって大声で語りかけた。
「へいへーい!怨霊さんよー!カリカリカリカリ、地味な事やってんじゃねーよ、ビビってんのかメーン?」
カリカリ音が止む。お経の声も止む。
霊媒師さんの方を見るとポカンとした表情で僕を見上げていた。
多分だけど「えっ、いきなり何してくれちゃってんの?こいつ」と思っていただろう。
若干スベった感のある空気に一瞬だけ心が折れかけたけど、こうなったら僕も引くに引けない。思い切り突き進むしかない。
「オラオラ―!出てこいやー!」
と、箱に踵落としを連発する僕。ガンガン音を立てて箱が揺れる。
そのとき、空気が明らかに変わった。箱の中からは禍々しい瘴気が溢れ出してきて、挙句の果てには「シャー!!」と威嚇するかのような声まで聞こえだした。
いかん。調子に乗り過ぎた。いつもこれで大人に怒られる。
潮時か……。そう呟き、最後に捨て台詞を吐いてから結界に逃げ込もうと思い、台詞に嘲笑をたっぷり込めながら
「何がシャーだ、猫ちゃんかバーカ!!散々人を苦しめやがって!ねえ、霊媒師さん!!やっちゃってくださいよ!」
と言いながら振り返る。
霊媒師さんがブルブル震えながら結界の中で頭を抱えていた。
今度は僕がそれをポカンと眺める番だった。
おや?様子がおかしいぞ。というか、話が違うぞ。打ち合わせではそれをやるのは僕の役割だったと思うのだが。
霊媒師さんは震えながら
「思ってたよりも強力な怨霊なので、私の手には負えません」
と涙目で訴えながら結界でガクガク震えている。
え、嘘でしょ。
いやいや、ちょっと待ってちょっと待って。どうすんのこれ?
話が違うじゃない。最終的に貴方がやっつけてくれるっていう安心感があったから、僕はあそこまで上等こきまくったんですけど。やべーじゃん。どうしよう。これ。
恐る恐る振り返ると、箱がギギギ……と開き、中から異様に目の鋭い痩せ細った老人の怨霊が這い出てくるところだった。
怖すぎる。
思っていた分の八倍強は怖い。やばい。思わず足が竦んでしまう。泡を吹きながら失神してしまいそうになるが、この状況でそれをやっても誰も助けてくれない。自分の力だけでなんとか乗り切らねば。
老人の怨霊は地の底から響くような恐ろしい声で
「お前を呪い殺してやるぅぅぅぅうううう」
と唸りながら這って近づいてくる。
随分とご立腹の様子だ。そりゃそうだ。ちょっと箱の内側をカリカリやってただけなのに、理不尽に箱をガンガン蹴られて怒鳴られたのだ。怨霊とかじゃなくてもキレる。普通の人間でもキレる。
僕が小学生だったら、この時点でおね確(おねしょ確定)だろう。でも大人なので、そういうワケにもいかない。実際、起きた後にパンツを確かめたが問題なかった。
幸いというか、なんというか、今から自分がしようと思っていることを事前に宣言するタイプの怨霊だったので、それを前向きに捉えることにした。
呪い殺す、ということは鈍器や刃物を使って攻撃する気はないようだ。
怨霊とは言え、相手は素手で移動速度も遅いヨボヨボの老人である。
最悪、取っ組み合いになれば勝てる。多分。
(絶対、と言い切れないのが非常に情けない)
呪い発動前にいっぱいパンチをすれば、なんとかなるのではないか。
そう思った僕は念の為、結界に逃げ込みながら霊媒師さんに
「一旦、安全な結界の中で作戦を練りましょう!」
と呼びかけるも、即座に老人の怨霊が
「結界なんて意味ないぞぉぉおおお、いくらでも破れるぞぉぉおお」
と、呻く。僕は思わず霊媒師さんの顔を見ると、霊媒師さんは「その通りです」と自信満々に頷く。こいつ、どっちの味方なんだよ。
ズリズリと怨霊は近づいてくる。いよいよ距離を詰められた。いちかばちかで、僕は手元に偶然あった毛布を怨霊に被せて、再び踵落としを何度もお見舞いした。「いてててててて」と聞こえたので、効果は抜群のようだ。あ、だから呼ばれたのか?いや、そんな事はどうでもいい。
「霊媒師さん!!何か手はないんですか!?」
と、半ば叫ぶように聞くと、
「はい、走って逃げましょう」
と超ベーシックな方法を提示されたので、最後にもう一発踵落としをキメてから、僕と霊媒師さんは走って逃げた。除霊とかそういうのは一切諦めて。
っていうか、物理攻撃しかしてない。
廊下を走りながら
「呪い殺すって言ってたけど、あれ、僕に言ったんすかね?」
と霊媒師さんに訊ねると、
「そりゃそうでしょう」
と無慈悲な一言が返ってきたので、
「あんただってお経唱えたりいろいろやってたじゃねーか」
と思いながらも、やがて来る呪いや祟りに僕は怯えはじめていた。思い切りがいいくせにビビり。そういうとこある。
どうしよう、どうしよう。と、悩んでいるところで目が覚めた。
うっすらと開けた目には日曜日の爽やかな朝日が流れ込んでくる。
その光は呪いも祟りも、すべてを浄化するような清々しさがあった。
(了)
……(了)じゃねーよ。
あの霊媒師。ちくしょう。なんの役にも立ってないし。
もう二度と調子には乗りません。怨霊さん、すみませんでした。いろいろ生意気言ってすみませんでした。本心ではないんです。あと踵落としもすみません。あれも本心じゃないんです。本心からの踵落としじゃないんで。今後は気を付けます。
そんな感じで。
これを、先述した小説作品の正式なあとがきとして、今回は筆を置かせていただく。
読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。
御後が宜しい様で。
お金は好きです。