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ストラトキャスターの真実は

娘が出しっぱなしにしているアンパンマン図鑑を本棚に片づけていると、昔のアルバムが出てきた。

「お、そういやこんなのもあったなぁ」
と、何気なくパラパラとめくっていたら死ぬ程懐かしい写真があって思わずページをめくる手が止まった。

二十歳の頃、楽器一本と全財産の十二万円だけ持って上京してきたときの写真だ。
インド人もびっくりの行動力と後先の考えなさである。(インド人関係ない)

この日から、それまでの平凡な人生がひっくり返るような毎日の連続だった。
まぁ、その辺は追々語るとして。需要があってもなくても、勝手に語るとして……。

今回はその音楽活動を辞めたときの話を語りたい。需要があってもなくても、勝手に語りたい。

「昔、音楽活動をしていました」
そう言うと必ず言われるのが、

「もう音楽はやらないの?」
「せっかく田舎から出てきたのに?」
「勿体ないじゃん、また始めなよ」

これは本当によく言われる。
それに対して僕はいつも
「いやぁ、まぁ、そうですねぇ…」
と非常に歯切れの悪い返事を返すのだが、実は音楽活動を一切合切辞めたのには明確な理由がある。

海よりも深く、
空よりも高く、
メンヘラ女よりも重く、
蒙古タンメン中本よりも辛い理由があるのだ。


あれは忘れもしない2011年のこと。
それなりにガチでやっていたバンドが解散し、
(というか僕が辞めるっつって解散しちゃったんだけど)
でもなんだかすっぱり音楽を辞めることもできずに、友達となんとなく遊びでバンド活動を続けていた頃の話だ。

その日たまたまバイトが休みだった僕は、お昼過ぎにようやくのそのそと起き上がり、昨晩入り損ねたお風呂に入った後、パンツ一丁姿でドンタコスを食べながら、録画していたアニメ「魔法少女まどか☆マギカ」を観ていた。(クソみてーな休日ですね)


その瞬間は突如としてやってきた。


“東日本大震災”である。

計画停電でいつもよりも明かりの少ない街や、悲しいニュースばかりのテレビを目にしてもなんだか現実味がないというか、昨日まで過ごしていた日常から非日常に突然突き落とされたような足元がふわふわした感覚でただ日々を過ごしていたのを覚えている。
そんなとき、バンドメンバーから
「こんなときになんだけど、次回のスタジオリハいつにする?」
と連絡が来た。

今、世間は
「節電こそ正義」
みたいな風潮すら感じられる状態なのに、エレキギターなんか背負って街を歩こうものなら、すれ違う人々から非国民扱いされ白い目で見られるどころか、
下手したら石コロやイシツブテ(ポケモン)の一つや二つ投げつけられるのではないだろうか、と心配になった僕は

「よし、ここはひとつ、知り合いのバンドマン達の出方を見て今後の動向を決めよう」

という超姑息な手を思いついた。

インターネットでいろいろ調べた結果、
やはり多くのバンドマンが僕と同じような居心地の悪さを感じていたらしく
あちらこちらで活動を自粛するバンドが見受けられた。
「まぁ、そりゃそうだよなぁ…」
と思いながらなんとなく、特に仲良くもない
一度か二度共演した程度の仲であるバンドのサイトも覗いてみたら
「大事なお知らせ」
という題名のブログがアップされていて、要約するとこういった内容だった。

「毎日悲しくて被災地の方々のことを考えただけで胸が張り裂けそうです。
こんなときにバンド活動を続けるのは不謹慎かとも思い、
今後の活動についてメンバー全員で何度も話し合ったのですが、やっぱり僕たちは歌い続けることしか出来ないという結論に至りました。
予定していた〇月〇日のライブは被災地の方々の為に歌います。
皆さん、是非足を運んで下さい」

僕は正直、読んでる最中から鳥肌が立つくらいの嫌悪感を覚えてしまった。
いや、あんたがミスチルならわかる。
被災地の方々を勇気づける為に歌い続けるべきだろう。
しかし、どうだろう。
これを書いているのは残念ながら都内だけでも五万といる有象無象だ。
箸にも棒にも引っかからなかった僕なんぞに、箸にも棒にも引っかからないなんて酷い言われ方をするレベルの雑魚だ。
そんな人達が被災地の人々の為に歌うって?
なんで?
なんの意味があって?
どうせチケットノルマも達成できずにハコに何万も自腹切って出演してんだから、その分の費用を募金したり何かしらの物資を送った方が被災地の人々にとっては余程為になると思うんだけど?
そして、どうせそういう奴はそんな大層なことを言っておきながら
大して求められていないのにしょーもない新曲を演奏し、
出番が終わった後に物販席でちょくちょく来てくれる可もなく不可もない女の子を打ち上げに誘い、
彼女がいるのにいないと嘘をついた挙句、酒の勢いを多分に借りてあの手この手で口説き、
「いろんな女の子にそうやってるんでしょ」とか言われても、
「いやいや、君だけだから、マジでマジで」とか言いながら、
まんざらでもない様子の女の子と打ち上げ会場からこっそり抜け出して、
渋谷道玄坂のラブホテルLALAにしけこむのだ。
僕にはわかる。わかるったらわかる。
(例え話の割に随分と具体的だけど誰の体験談なのだろう)

心底思った。
「こんな奴らと同じだと思われたくない」
と。
自分だって今まで散々痛い発言を繰り返してきたくせに、
この一件で僕は魔法が解けたかのようにバンド活動に対する情熱を失ってしまった。
それどころか部屋の片隅に置いてあったギターさえも、なんだか恥ずかしいものに思えてきた。
売れてもないし売れる見込みも一切ないクソバンドマンのくせに無駄に電気を使って音楽なんぞやってて申し訳ございません。と。
そんなことを思いながら僕は決意を固めた。
面倒くさくてバンドメンバーにはおろか、
当時の音楽仲間にも一切説明してないし、
彼らからすれば
「またいつもの気まぐれでしょ」
と思われたかもしれない。
でも実際にはこれこそが原因だ。


だから僕は音楽を辞めた。


今思えば潔癖すぎたとも思う。
「それはそれ」と割り切ればいいものを、
そうできなかったのは僕が未熟だったからだ。
しかも僕はかなりの頑固者だ。
以前職場の先輩から
「佐藤君って意外と頑固だよね」
と言われ
「いや、絶対にそんな事はないと思いますけど」
と頑固になって言い張ったくらいだ。
もうあの赤いストラトキャスターを手にして皆様の前に立つことは二度とないだろう。

でも、楽器を持たなくなっただけで。
マイクの前に立たなくなっただけで。
結局は今も昔も僕は同じことを主張し続けているような気もする。

冒頭の写真を見つめながら、この頃の僕に対してほんの少しだけ
「ごめんな」
と思う。
あと、
「大丈夫、心配すんな」
とも。

だって、まだ芯は折れてないもん。

…多分。


お金は好きです。