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愛を込めて花びらを

やぁ、久しぶり。元気にしていたかい?
僕?僕は、うーん。どうだろうな。
そうだ。今時間は大丈夫?ちょっとお話をしようか。

思うんだけどさ。生きていく上で「毎日がずっと楽しい」なんて事はなかなかないと思うんだよ。超絶ポジティブな人とか、特に何も考えていない人はそういうのもあるのかもしれないけど、大体の人はそうじゃない。
日常生活を送っていて、一日の中で面白かったり楽しかったり幸せだったりって時間は確かにあるんだけど、それよりも不安だったり不満だったりする時間もけっこうあるし、それ以上にそのどちらでもない“無”の時間が割と大半を占めていたりするもんだと思うんだよ。いや、あくまでも僕は、だよ。君はどうかは知らないけどさ。だからこそ、幸せな時間や感情ってのは尊いんだろうな。希少価値ってやつだね。ん、ちょっと違うか。まぁいいや。
で、だ。
だからこそ、ってワケじゃないんだけど。
僕はどんなに小さな事でも笑うようにしている。どんなにくだらない事でも笑っちゃうんだ。希少だからこそ、自分の意識ひとつでそれを増やすイメージかな。そうしたら、それが小さな事であったとしても、なんだかすごく楽しい事のように思えてくるんだよ。日本のことわざに『笑う門には福来る』なんてのがあるよね。辛くても、悲しくても、寂しくてもさ。こうして笑えているうちは大丈夫。そう思うんだ。
そして、僕自身がそうやって思う以上は、君にも笑っていてほしいんだよね。自分ひとりが笑っていても、君が悲しそうな顔していたらなんにもならないだろう?
なんか、今自分で言ってて「これ、ちょっとしたエゴだな」って思っちゃったよ。さすがに押しつけがましかったかな?だとしたら申し訳ない。
でもね、これは僕なりの愛だ。それも全身全霊を注ぐようなものではなく、ちょっとしたプレゼントのような。うーん、そうだな。けして花束のようなものではないけども、君の掌にはらりと落ちる花びらのような。
僕の愛はそういったものでいいと思ってる。
「突然どうしたの?」って顔だな。
いや、ね。なんというか、僕の勘違いならいいんだけど、君が少し疲れているように見えたから。柄にもなく、ちょっとしたお節介を焼いてみようと思ってさ。

あぁ、そうだ。
今週の初めくらいだったかな。
電車を待っていた僕は駅のホームにあるベンチに腰を掛けていたんだ。
すると、二人組の女子高生が後からやってきて僕の隣に座った。
僕はドライヤーとか、ダイソンの掃除機とか、女子高生といった音の大きいものが苦手でね。その二人も音量調整のつまみが壊れちゃってるのか、まぁまぁのボリュームでお喋りを始めたんだ。楽しそうにケラケラと笑う感じは非常に微笑ましいが、静寂を愛する僕としては些か困ってしまってね。席を立とうとも思ったんだけど、その二人のうちの一人が

「どういたしまし天丼」

というオリジナルのギャグを持っているようで、やたらと多用するんだ。最初のうちは「くだらないなぁ」としか思わなかったんだが、二度、三度と聞くうちに段々おもしろくなってきてね。少しだけ二人の会話に耳を傾けてみたんだ。会話の内容は他愛もないものだったが、二人にとって当たり前の日常が、今しか見えないキラキラしたものに感じられてさ。いいなぁ、青春ってこんなだよなぁ、なんて思っちゃってさ。おじさん丸出しでなんだか恥ずかしいんだけど、ちょっとほんわかしていたんだよ。
ところが、だ。
しばらく穏やかな時間が続いていたんだけど、はたと会話のラリーが止まったのさ。「おや?」と思っていたら「どういたしまし天丼」と連呼していた方の子が、もう一人の子の顔を見ながら急に
「きもっ……」
と言い出したんだ。耳を疑ったよ。突然仲違いをしだしたのかと思ったけど、そうじゃなかった。天丼の子は……天丼の子ってすごいな。響きが。でも、それ以外に言いようがないもんな。天丼の子は続けてこう言ったんだ。

「ねぇ、おでこに虫がついてるよ」

なるほど。友達のおでこに虫がとまっていたのを会話中に発見して思わず黙ってしまったのか。なるほどなるほど、と僕は納得したよ。
だからと言って、その後の第一声が「きもっ……」なのは友達に対してどうなんだろう、とは思うけどさ。

僕は少し心配になったんだ。
その友達は、楽しく会話していたのに唐突に「きもっ」と言われ、挙句の果てにはおでこに虫がとまっているという現状に心が堪え切れるのだろうか、ってね。
さっき言ったとおり、この子たちは声のボリュームが基本的に大きいので、彼女のおでこに虫がとまっているという事実は半径数メートルにいる全員が把握してしまった。
花も恥じらうようなお年頃の乙女だ。きっと今この瞬間にも、手で顔を覆って泣き崩れてしまいそうなのを必死で耐えているに違いない。それにこの歳の女の子だ。虫というものに対する生理的嫌悪感も半端ではないんじゃないか、って。

勿論、僕は一切関係ない。この件に関して何か手助けできることも特にないよ。これだって勝手に会話を聞いてて、勝手に状況を把握し、勝手に心配してるだけさ。でもね、娘を持つ一人の父親として、少しだけ「どうにかしてあげるべきじゃないか」なんて思ってたんだ。

でも、次の瞬間。
すぱんっ、と小気味いい音を立てて平然とおでこを払ったその子は

「はーい、教えてくれてどうもありがとねー!」

と言い放った。すごいと思わないかい?町の定食屋のおばちゃんの風格だよ。僕ですら多少は狼狽える場面なのに、その子はなんてこともない様子で、そのまま中断された会話を再開させようとしているんだ。僕は驚愕に身を震わせたよ。驚愕に、と言うかね。その無駄に威風堂々とした振る舞いに笑いを堪えるのに必死で。なのに、そんな僕に追い打ちをかけるように天丼の子が

「どういたしまし天丼」

と何度目かのキラーワードを発した時点で僕はもう耐えきれなくて、咳払いで笑いを誤魔化しながらその場を離れた。マスクをしていて良かったよ。じゃないと女子高生の会話を盗み聞きしてニヤニヤしている変なおじさんだからね。下手したら通報も待ったなしだ。鉄道警察隊に取り押さえられてしまうかもしれない。こわいよね。本当に。

……おや。
笑顔が戻ったみたいだね。よかったよかった。
この話はね、絶対にここでしようって思ってたんだ。
だから、君に笑ってもらえるなら僕としても本望さ。

さて。
そろそろ行こうか。時間を取らせてしまって悪かったね。
またお話しよう。君さえよければ、だけど。
少しでも元気になれたならよかったよ。


えっ?
いえいえ。


どういたしまし天丼。



お金は好きです。