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海老天クライベイビー

自分で言うのも何だが、僕は温厚な性格である。
メンタル面が仏なので滅多に怒らない。
そこそこの満員電車とかで、よろけた人に自らの足を踏まれても全然怒らないし、なんなら踏んできた相手が綺麗なお姉さんだったら勢い余って
「ありがとうございます」
なんて口走ってしまうかもしれない。
とにかく怒らない。

そんな僕でも過去に激怒した経験はある。
今回はその話をしたい。
あれは確か、僕が二十七歳のときだ。

……と、こうして回想が始まるワケだが。
「あんたのくだらない長話に付き合ってる暇なんてないわよ、この卑しい豚が」
なんて思っているお姉さんも、もしかしたら居るかもしれない。(ありがとうございます)
要約すると、“海老の天ぷらを食べ損ねて大人なのにマジギレしてお友達をドン引きさせた話”である。
お時間に余裕がある方は是非読み進めてほしい。
勿論、読んだところで得る物は何もない。



あれは友人、後輩、そして呼んでもないのに何故か勝手についてきた僕の実弟と四人で食事をした夜の事だ。
ちょっとした割烹で、お値段もそこそこなお店だけあって我々は出てくる料理すべてに舌鼓を打ちながら楽しい時間を過ごした。
ある程度テーブルの上の料理も食べ終わり、会話を楽しんでいると
「ラストオーダーのお時間になりますが…」
と、店員さんが最後の注文を聞きに来た。

実は僕はどうしても注文したいものがあった。
車海老の天ぷら(五本)だ。
本当はもっと早い段階で目を付けてはいたのだが、いろんな料理を食べたいという気持ちが強く、胃もたれを恐れて後回しにしていた。

僕は意気揚々と
「海老の天ぷら食べたい!」
と、注文しようとしたが、ここで友人からストップがかかった。

「どうせなら盛り合わせにしようぜ。海老も入ってるし、その方がたくさん種類があるじゃん」

僕としては
「は?いや、種類とかどうでもいいし。海老しか興味ないし」
と、一瞬思ったが変な空気になるのも嫌だったので、その申し出を受け入れた。

数十分後、注文した天ぷら盛り合わせが運ばれてきた。
僕はお皿の上を見て「あちゃー」と思った。
海老が三本しか乗っていない。
「だから言わんこっちゃない」とは思ったが、この時点では僕はまだ自分が海老の天ぷらを食すことが出来ると疑っていなかった。
何故なら天ぷらの言い出しっぺは紛れもなく僕だし、その際にハッキリと「私は海老の天ぷらが食べたいです」と、英語の教科書に例文として載っていてもおかしくないレベルの意思表明はしていたからだ。

「三本のうち一本は無条件で僕の分。あとの二本は、まぁ、適当に決めちゃってよ」
そんな軽い気持ちで構えていた。
が、次の瞬間。友人が

「仕方が無い……、四人でじゃんけんしようか」

と言い出した。


……はい?
じゃんけん?
じゃんけん、って何?
え、じゃんけんって、俺が知ってる、あのじゃんけん?あっちの方のじゃんけん?
四人で?三人じゃなくて?えっ、俺も?

えっと、ごめん。

なんで?

頭の上に八個くらいの「?」を浮かべながら、僕はただただ狼狽えていた。
しかし、僕以外の三人はそれに気づくことなく、それどころか突如として始まった「海老天が食べられるかどうか」というゲーム性に夢中になっている。なんだ、こいつら。IQが4か。IQが4なのかって聞いてんだ。俺言ったよね?海老の天ぷら食べたいって。言ったよね?記憶力どうなってんの?マジか、おい。

しかし無情にも事態はどんどん進んでいく。

「最初はグー!じゃんけんぽん!」

流れについていけないまま、思わず咄嗟に出した僕のパーは見事に敗れ去った。あいことか、そんな余地もない。僕以外は全員チョキを出し、一発で負けた。
スローモーションのようにお皿から海老天が一本、また一本と各々の口に運ばれていく。
僕はその光景を唖然としながら見守るしかなかった。
怒ってはダメだ。けして怒っては。楽しい食事会だ。
それに僕はもう二十七歳だ。そこそこ大人だ。しかもあろうことか、実弟も同席している。お兄ちゃんとして、それだけはダメだ。なんで居るんだ、こいつ。呼んでもねーのに。この野郎。なんなんだ。腹立つ顔しやがって。よく似てるって言われるけど。

ひたすら耐えた。必死で耐えた。叫びだしたい衝動をなんとか抑え込み、僕は耐え続けた。
そのとき、そんな僕の苦悩に気づけない後輩が、僕に向かってこう口走った。

「超うまーい!!こんなにうまい海老の天ぷらが食べられないなんて、先輩、 ふ こ う で す ね」




僕の箸が宙を舞った。



投げられた箸がテーブルに叩き付けられると同時に、空気がピンと張り詰めるのを感じた。
静まり返る場。凍り付く後輩と実弟の顔。
僕はどかっと椅子の背もたれに身を預け、一言も発することなく虚空を睨む。友人が慌ててフォローに回る。

「ごめんごめん!そんな、マジで怒んなって!よし、こうしよう。次のこの白身魚の天ぷらはじゃんけん無しでお前食ってもいいから

……え、当初の予定だとその白身魚の天ぷらすら食えない可能性があったワケ?こんな想いまでして?本命の海老天も食えなかったのに?というか、もう海老にもムカついてきた。何がコーカクルイだ、調子に乗りやがって。二度と食ってやるもんか。

「いらん」

必要最低限の文字数で答える僕。
後輩と実弟は箸を置き、ただ俯いている。

「いやいや……、オーケイ!じゃあ、もう残りの天ぷら全部食っていいよ!俺ら海老食べちゃったし、な!お前らも、いいよな?」
無理に明るく後輩と実弟に呼び掛ける友人と、
「はい……」
としか答えない二人。

それに対して、にべもなく
「いらねっつってんだろ」
と答える僕にとうとう友人もキレた。

「お前いい加減にしろよ!子供じゃあるまいし!そんなにどうしても海老が食いたかったんなら、最初からそう言えば良かっただろ!!


言った言った言った言った言った言った言った言った!!!!!
言いましたよー!!!!
画面を上の方にスクロールしてくれるかな?言ってるよね!俺ハッキリと言ったよね?聞いたよね?ぅわぁーい!!マンボ!!

(怒りのあまり頭が混乱しております)

もう怒りが一週回って無の境地に辿り着いた僕は、
「あ、もういいや」
となった。

「あー、ごめんごめん。こんな空気にして悪かったよ。もう俺の分だけ払って先に出てるから、適当に切り上げて連絡くださいな」

心なしかこちらをチラチラと気にしている店員さんに「すみません、お会計お願いします」と伝票を貰ったら、一人約七千円。

七千円…。
そうか。こんな想いをして七千円も払うのか…。

若干、苦々しく思いながらも財布から一万円札を出してテーブルに置き、「これで俺の分払っといて」と言い残して座敷を去ろうとする僕に実弟が

「兄ちゃん…」

と声を掛けてくる。この期に及んで何を言うのだろう。今更謝罪か?そう思って振り返る。

「兄ちゃん、ごめん。俺……財布持ってきてない……

はい、一万四千円!海老天一本も食えずに一万四千円!こんな想いをして一万四千円を払ってる人がここにいまーす!!うっひょー!!ダッダーン!!ボヨヨンボヨヨン!!



賢明な皆様ならお気づきだと思うが、僕は今、これを書きながらちょっと怒っている。(冒頭の“温厚”とは…?)
「思い出し笑い」なんて言葉はよく聞くが「思い出し怒り」はそうそうない。もうあれから十年近く経つが、未だにこれを思い出すと当時の感情が蘇るのだ。

食べ物の恨みは恐ろしい。

そういう事である。



お金は好きです。