『華氏451度』で描かれたことが現実になっていることに冷や汗をかく│読んだ本
小説の中でもSFはなんとなく避けていたジャンルのひとつなのですが、藤井太洋さんの『ハロー・ワールド』を読んで、SFで描かれるちょっと先の未来って怖いけど面白いと感じ、少しずつ読んでいます。
『華氏451度』を選んだのは、たまに参加している洋書の読書会で課題図書になったことがきっかけです。英語のほうで一度読み終えたのですが、わかるところとそうでないところの落差が激しく、ストーリーを追えていたのか自信がなかったので。
最後まで読み終えて、おおまかなストーリーは追えていたこと(細部で読めていなかったところはアリ)、わからなかったのは古典文学や聖書から引用されたところがほとんどだったことがわかり、ほっとするやら、古典に苦手意識を持ち続けていると小説を深く味わえないことに気付いて反省するやらでした。
この小説で印象に残ったのが、本が燃やされるシーンではなく、主人公(モンターグ)の妻(ミルドレッド)とその友だちの取りとめのない会話から垣間見える夫婦関係、親子関係の断絶です。自分だけが楽しく生きていられればよく、夫や子供がつらい目に遭っていようと関係ない、といわんばかりの姿にぞっとしました。
SFはちょっと先の未来を描いた作品、ではあるけれど、この未来には追いついてほしくなかったなぁ、というのが正直な気持ちです。と同時に、私自身もつい自分の都合を優先してしまうことがあるので、気をつけなければと反省しました。
もうひとつ印象に残っているのは、図書館を燃やして帰宅した場面で、モンターグが言った「本のうしろには、かならず人がいるって気づいたんだ」です。どんなジャンルであれ、本は書いた人が試行錯誤しながら頭の中にある思いを言葉にして表現してくれたから私の目の前にあるんですよね。当たり前すぎてまったく意識していなかったことに気づきました。
『華氏451度』は過去に2回改訳が出ていて、私が手に取ったのは3回目の新訳版だったのですが、とても読みやすかったです。訳者あとがきで、ずいぶん前からいつか自分の手で新訳を……とあり、翻訳者である伊藤典夫さんの、この小説への思い入れの深さも感じることもできた作品でした。