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【分別】あるがままに群がり無数に分かつ

今日も世間はかまびやすいです。

人が人を批判して、称賛して、上から目線で押し付けて、謝罪して。

そして自分もその喧騒の中に身を置いています。



好むにしろ好まざるにしろ

人はこの関わり合いを、共感しあって、拒絶しあう営みを

人類が滅ぶまで繰り返していくのでしょう。



営みを外から俯瞰しているつもりになっている自称世捨て人も。

そのことを悟られまいと、内心自尊心で満ち溢れた、高みから物事をみているつもりの一市民も、

おのおのが人間であり大衆です。 

その事実から逃れられる人間はいません。



ですが、そこにあるのは

あきれるほど圧倒的に「あるがまま」の唯一世界だけです。

「あるがまま」それ自体には意味はありませんが

自我を宿す人間は、無限の分別を行います。

そしてそこに、数え切れないほどの意味を与え

価値を付与します。



同じ世界の事象についても

人の数だけ分別の仕方があります。

砂糖に蟻が群がるが如く

ある事柄があったら、それは人の数だけ意味が分かたれます。



そして、そのことについて

人は自身なりの価値を値札のように貼り付けて

他人と値札の値について

あるときは共感したり、あるときは非難したり

喧々囂々の悲喜劇を巻き起こします。



でも、どんなに人間たちが分別を行っても

そこにあるのは圧倒的なまでの

「あるがまま」なのです。

「あるがまま」にはいかようにも分別を行えますが

その本質は「ただ単にそこにある」ものです。

どのような値札も貼られていません。

ゆえに何の意味もなく価値付けもされていません。



「あるがまま」という、そこにポンッと置かれているような存在を

「尊いもの」と人は直感的に感じることがあります。

ただ単にそこにあり、人が多くの意味に分かち、価値付けられる存在。

それがそこにある理由は、誰も理知の言葉で説明できませんが

多くの人がそこに

上辺だけでない本質的な意味を見出そうとしています。



「あるがまま」の世界に感謝を捧げたいと望んでいます。



世界が「あるがまま」であると理解しても

人は相変わらず分別という行為を成すでしょう。

それでよいのです。

分別という行いも「あるがまま」の世界に組み込まれているのですから。



人はただそれら「あるがまま」を

真摯な気持ちで受け入れて

なすがままに世界へ身を委ねるのが良いでしょう。



泣き、楽しみ、怒り、喜び

時には虚しさに身をまかし

ある時は心の深奥から湧き上がる悦びを感じて

そして観測者たる人が

生物活動を止め、自我が霧散するときまで

ひたすら「あるがままを受け入れ、なすがままを成す」ことをやっていくのです。



でも、結局それを知ったところで何になるのでしょうか。

私がこんな話をすることに意味があるのでしょうか。

「世界があるがままであることを受け入れ、明日も分別という行為や喜怒哀楽に身をまかす」

これでは今までと何も変わらないように思えます。

私の話したことは、単なる時間の浪費なのでしょうか。



そうとも言えます。

ただ、人は「あるがまま」ではなく

分別された意味を、本質的な世界だと思い込みがちです。



あなたは木に生えた赤くて丸いリンゴを目にします。

それはあなたにとっては、赤色に見えますが

色覚が他の人と違った人間には、青色に見えるかもしれません。



また、丸いと認識しましたが

リンゴ単品ではなく、それが生えている木そのものを

「リンゴの木」として分別して

リンゴ単品を分別しないこともできるでしょう。



大切なのは、あなたは「あるがまま」の世界を分別していますが、

その分別の結果は、いかようにも変わるのです。

幻の存在と言ってもよいかもしれません。



「あるがまま」の世界は本質的な存在ですが

分別の結果、人が思った存在は

夢幻のような存在なのです。



そんな存在に振り回される理由はないのです。

いえ、人である以上、自我が分別を行うので

どうしても振り回されるのですが



世界が、それ自体は何の意味も価値もないけど

尊い「あるがまま」の存在であるという事実は

大きな慰めになります。



分別に振り回され、疲れたとき

「でも世界は唯一であり、そこにただ在るだけなのだな」

という事実は

あなたを「分別疲れ」から癒やしてくれることでしょう。



そして、疲れが癒えたら

また分別を行う世界に戻っていき

全力で生きればよいのです。



救いのあることに、その分別ですら

「あるがまま」の世界は内包しているのですから。



あなたはどう生きてもよいのです。

どう生きても世界が「あるがまま」であることは変わりなく

あなたを振り回す「分別」の結果も「あるがまま」の世界なのです。



あなたは心を安んじて

喜怒哀楽に身を任し

成したいと思うことを成していき

要するに生きているその一瞬を全力でまっとうすればよいのです。



泰然自若とした「あるがまま」の世界に身を委ねて

安泰の気持ちで、一生懸命生きていけたら…

と私は願っています。

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