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【詩】寵愛の灯火

ここに薄倖の女が一人

まなざしをうららかな春の空に注いで

偽の笑みを頬に張り付かせ

まさに歌おうとしている。



昔、彼女が歌えば

男たちは色めきだち

女たちは妬み

人はみな上を沸き立たせた。



今、彼女の凍りついた喉からは

かすれて錆びたような声が

絞り出されるのみ。



彼女が愛した人は

妓女をはべらせ

夜毎に寵を競わせた。



桃の花が咲き乱れる庭園で

彼は彼女に

浮気な言葉をささやきかけた。



一夜限りの寵愛。

男にとっては刹那な愛でも

女にとっては永遠だった。



ほどなくして常のように

男はたやすく寵をうつした。

彼女とはまるで違う

似ても似つかぬ女に。



それはいつもの光景

この庭園で幾度となく繰り返された

情欲の喜劇。



だが彼女は

これまでの女と違った。



戯れと分かりたくはない

私だけは違うはずだ

彼が目を潤ませて語った言葉は

真実ではなかったのか。



雁が寂しげに鳴く庭園を

彼女はひたすらに彷徨った。



いつしか女は

悲しみが宿る庭園を出で

昼下がりの街を歩いていた。



彼からの寵を取り戻そうとするかのように

唇に媚を浮かべ

情愛の歌を奏でようとする。



だが一度割れた心では

幻想の彼に

妄念の中ですがることしかできないのだ。



今ここにいる女は

二度と今を生きることはできない

虚な声で

思い出に語り続けている。




悲歌は、今日この日だけ奏でられるわけではない。

悲運こそかこわれるものの運命。

一旦かき消えた欲愛の灯火は

二度と灯されることはない。



詩人よ。

いかに歌が哀切であろうとも

偽りの愛がむくわれることはない。

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