神という仲介者をなしに隣人を愛すれば、いつかは深い幻滅を味わうだろう。それは誰もが持つエゴによるものだが。神の名において、隣人に同情して手を携えること。どんなにひどいことをされても、期待が人ではなく神にあれば、己を致命的に損なうことなく人に希望を持ち続けることができる。

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