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正の傍ら



昨今の沢山の争いでの雑記。


自分たちを守るために、
誰かを傷つけることが無い世界には
いつなるのだろうか。

自らを否定され、心を疑われ、
何かを失った「痛み」から
生まれる闘争において、
外野の人の声は雑音でしかないのだろうか。

自分にとっての「正」が
相手にとっての「悪」になり、
不自由さへの憎悪は
増していくばかりなのだろうか。


書いていて改めて気づいた。

正義とは、こんなにも悲しく恐ろしいものなのだと。


長い時間をかけて複雑に絡み合った糸は
解ける術もなく、
それらに対して立ち尽くすしかない自分自身の無力さを思い知る度に、
現実を知ったつもりになることで気を紛らわせている。


政治・宗教・人種、、、

様々な価値観や考えの違いに対して
権利の主張を続けた一部の人間の
腐った損得感情ばかりが表に現れ、

みんなが持つ、
内にある綺麗な心は見せる隙すら与えられず、
一部の悪に掌握されたまま、
軸が見えない世界で翻弄されている。


日頃の小さな損得感情を感じるだけでも反吐が出そうになる私は、

「綺麗な心って本当にあるんだっけ。」

と絶望する。


ひとりひとりの人生が歴史をつくり、
その歴史は未来の善も悪もつくり出す。

リセットボタンがなく
編集が出来ないこの世界では、

「無かったことにします。」

「昨日までのことは忘れて、今日からみんな仲良くしましょう。」

なんて、都合の良いことはできない。


生きることとは、
他の誰かの憎悪を生みだすことなのだろうか。

「自分」でも「自分たち」でもなく、

『みんな』のことを考えることは出来ないのだろうか。


どうか、どうか、
少しでも憎悪という言葉を無くせる世界になりますように。


傷つかなくていい人が
傷つかない世界でありますように。


以上。

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