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出会った会社から学んだことを活かす

小さい頃の私は「男女」区別されると、男の子よりのものも好きでした。

周囲から「女の子なのに」と言われると、「好き」というのがいけない気持ちになりました。
女の子が好きなものが嫌いなのかというとそうではなく、単純に「女の子が嫌い(苦手)なものも好き」というだけです。

高校くらいになると化学や数学物理などが楽しくて仕方がなくなり、ゲーム感覚で解いて楽しんでいました。なので進学も理系一択です。

そんな感じだったので「男なのに」「女なのに」または「男だから」「女だから」と言われるのが苦痛だったんですね。

しかし女性に生まれたからには「恋愛」「結婚」「出産」「育児」と「仕事」を切り離すわけにいかない現実がありました。

でも時代は、まだまだ男女平等には程遠いときに学校を卒業、就職しました。

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男と女

最初に入ったのは建設業のハウスメーカー。そこでは設計で入社したつもりでしたが受付(当時はまだ会社に受付嬢なるものがいた)でした。

とても不本意でした。

何度も会社に「設計にいきたい」と申し出ても「前例がない」と言われる時代。女性が設計士になるには、そもそも設計の部署にいくまでの道のりが遠かったです。

途中から半ばあきらめ気味になり、だんだん受け入れていき始めた自分を覚えています。

割と流されるのも簡単に受け入れてしまう性格でもあったので、自分の中で折り合いをつけていたんだと思います。

その後、結婚・出産という流れを経験しました。

特に私の今の価値観を育ててくださった会社は、子供が1歳から11歳までいた業界ナンバー1のメーカーでした。

ある会社との出会い

その会社では私は地方の営業でした。全国に数千人の営業および内勤者がおり、また小規模専門従事者を入れると数万人の会社ですが、多くのことを学びました。

私は本社にいたことがないので、現場の目線で感じたことですが、顧客のためはもちろんですが以下のことを大事にしていたのです。

①常に現場を最優先、本社はバックアップのための存在

②支店の現場で働くすべての人の家族に敬意を払う

③インセンティブは全国統一、公平な評価

④支店などがある地域住民の方にも感謝

企業名は伏せておきますが、こんな会社に出会えたことはラッキーでした。

その後、ホテルに行ってもこのマインドが私を支えたと思います。

一つ一つを自分なりの解釈を含めて説明しますと、

①常に現場を最優先、本社はバックアップのための存在

営業マンは顧客に最大限のサービスをする存在です。そのバックアップは支店の内勤者たち。
そして支店を支えるのが支社や本社の各部署。

このように明確に自分たちの「やるべきこと」と「使命」を示してくれ、また確かに現場での困りごとや無茶なお願いを、なんとか譲歩しながらやってくれた印象でした。

お客様のオープンに間に合うように納期を早めてもらったこともありました。デザインなどの変更や現場の提案も一緒に本社の方も考えてくれました。価格での交渉も支店や内勤者も一緒に悩んでくれました。

なぜなのか。

それは、営業や現場でのお客様は最終顧客です。

しかし本社にとっては「現場の従業員がお客様」ということを徹底していました。なので本社の方にぞんざいに扱われたことは1度もありませんでした。

むしろ、言葉も丁寧に、また丁重に扱ってもらえました。


②支店の現場で働くすべての人の家族に敬意を払う

①でもお話をしたとおり、末端の地方の営業マンにも丁重な扱いですがその家族にも敬意を払ってくださいました。

「大切なご家族を預かっている」

そんな創業者および歴代の社長の言葉を守っていました。

なのでクリスマスには、全国の支店に従業員数分のケーキ1ホール、お鍋セット(どうも社長が好きだったらしい)が届きました。

またクリスマス会(教会系ではないのに)では、従業員の家族を招待し催し物を開くのです(笑)
当時は「うわ・・面倒くさい」と思いましたが、家族同士仲良くなったり子供も奥様やご主人も知ることとなり、それはそれで案外よかったのかもしれません。
子供達には玩具や喜びそうなものや、女性に人気のグッズがあふれるほど送られてきていました。

終わってから引き取り手がなかったものを、さらにみんなで分け合った思い出(笑)

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③インセンティブは全国統一、公平な評価

私がこの会社を選んだ理由に、

「地方も都会も同じ賃金(インセンティブ)、男女区別なく同じ仕事」

だったから。

ずっと男女の違いで憤りを感じていた私には、区別なく賃金も労働も与えられる会社は、非常に清々しい会社でした。

単純に「女性で重いものが持てない」からこれだけ、「体力がなく休みが欲しい」からこれだけ「子供が小さいので時間が5時まで」だからこれだけ。

しかもそれは自分で選ぶのですから文句は出ません(笑)

それだけではなく、インセンティブでも同様に公平でした。

全国に支店があり営業成績を支店同士で見比べると、当たり前ですが都会と地方ではエリアの顧客数、特徴も風土も、また風習も違います。
その中で、どう公平に平等に測るのか。

とても難しいと思います。それを本当に上手にいろんな考え方で評価していました。ここはブラックボックスだと思うので詳しく説明はしませんが、女性の私でも、小さい子供がいてフルに仕事ができなくても納得し数字を追いかけられました。

私の所属していた支店は地方でのんびりした地域でもありましたが、それでも全国表彰される人間をたくさん排出していました。

また支店対抗戦のような成績を競うイベントもあったのですが、そういうイベントも公平性を感じました。

こういうことはとても大事で、せっかくのイベントを無駄にするか活力にするか分かれ道だと思います。
支店の雰囲気もあってか、ダメでも笑う、いい成績でも笑いがでる環境でした。

④支店などがある地域住民の方にも感謝

最後に、地域住民への感謝を常にしていました。

車で駐車場からの出入りがあるので
大きな車も入ってくるので

などなどで、地域の方にもご迷惑をおかけしてるかもしれない。

なので地域への感謝で、やはり年1回のイベントを開催していました。


その後の転職でも忘れずに、今度は自分が行う

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その会社は私にとって、とても居心地が良かったのですが体を壊したことをきっかけにホテルに転職しました。

今度は自分が支配人としてホテルを運営する立場になったときに、これら学んだことは大変役に立ちました。

①常に現場を最優先、本社はバックアップのための存在
支配人になってから、それぞれの役目を明確に伝えました。それと同時に自分の支配人としての役目も。

フロント、清掃担当、その他のスタッフはお客様のために尽くしてほしい。
そして全従業員が100%の仕事をしてもらうために自分がいる。

それをずっと言い続けました。

笑顔でお客様に接してほしいなら、心から笑顔が出る職場を作ろう。

そのために自分にできることは何か。を考えました。

②支店の現場で働くすべての人の家族に敬意を払う

会社で働いてくださる方には、必ず家族がいます。

その家族に「ここで働いてよかったね」と言われるような会社でありたい。また、従業員が働くときに家族に理解し協力してもらえる会社でありたい。

そのために、何ができるんだろう。といつも考えていました。

従業員の誕生日には、花束を手配し送りました。また忘年会では必ず家族にお土産を持って帰ってもらったり。

他にもいろいろありますが、そんな些細なことでも大変喜んでくださる方も多かったです。

③インセンティブは全国統一、公平な評価

営業会社であれば多少のノルマもあります。そんなノルマも嫌がるだけで終わらせない、そんな手法を考えて「もらえる可能性があるものは貰おう」をスローガンに取り組み一緒に泣き笑いすることで、力がどんどんついていきました。

全国展開している会社で、地域差があってもインセンティブを取りにいく。

最初は「絶対できません!」という従業員も当たり前にクリアしインセンティブをもらうようになります。その土台は「公平な評価」

とても大事だと思います。そして実際にとることが大事なんです。

④支店などがある地域住民の方にも感謝

地域に愛される事業所というのは、働く側にとって「愛社精神」が芽生える土壌作りになります。

「あの会社なんだ。いい会社だよね」

と言われる方が良いか

「あ~・・あの会社ねえ・・」

と言われるか。

単純な答えです。


出会いを感謝しつつ自分の今後に活かす

こう思える会社に出会ったこと自体を感謝しています。(宗教家ではありませんが)

退職してから、相当の時間がたちますが今も同じような感じであってほしいと願います。
街中でもたくさん見かける営業車やグループ会社の店舗の皆さんが、幸せに働いていますように、と陰ながら応援しています。


そしてこれから自分が出会うだろう企業様にも、そんな幸せな従業員さんがたくさん出来ると嬉しいです。
もちろん、私の事務所の方にも、です。


最後まで読んで頂きありがとうございます。
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