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ゲームによる人格形成(小学校まで)

25年余りの人生で、ゲームって僕にとってなんだろう。

ゲームに出会うまで

ゲームに出会うのは7歳ぐらいのころ。それまではお外で鬼ごっこをしていた。裸足で外でホースで水を撒くのが楽しかった。

でも、6歳ごろになるとゲームを持っていないからという理由で、友達の輪に入れなくなってきてかったし、やりたくて仕方なかったから友達の家の前で泣いてピンポンしていた。

初めてのゲーム

初めてやったゲームはポケットモンスター金。夢中でやった。ミルタンクに殺戮されたり、ヤドンがしっぽ切られたり。

ゲームをしてから、友達の輪に入れた。ついにゲームを買って輪に入った時の安堵感、承認された感覚はすごい。

やっぱり人間はどんなに幼くても社会から省かれることが死に直結することを本能的に知っているらしい。ゲームは最初、自分にとって仲間をつくるために、重要かつ分かりやすいツールだったのだ。

ゲームからはじまる競争社会

ゲームを買って仲間に入ったら、安堵感は束の間、集団内でのヒエラルキーに組み込まれた。

ゲームが上手い、もしくは一番進んでいる これらのステータスがあると集団内部での権力が強くなるのだ。最初は楽しくゲームができるだけで満足だった。

しかし、徐々に自分の地位を確立したいという野望が生まれ、必死でゲームにのめりこんだ。

小学生では早く殿堂入りして、レベルを上げて、通信対戦して、レベル差で相手を殺す。(破壊光線だ!バンギラス!)それでヒエラルキートップだったが、さらに立場を良くする出来事があった。

あるお兄ちゃんに「ポケモンを増やす方法があるよ」と教えてもらった。

そう、早くもバグ技に手を出したのだ。これでマスターボールは無限増殖、セレビィも量産した。これで俺はリバティーヒルズの王になった。

自分にとってのゲーム

この頃からずっと「自分は割とゲームができる、よく知ってる」という事実が誇りだ。

そのため、自信があるジャンルだから、よく話題に出す。今でも、人と仲良くなるにはゲームの話題を出すのは常套手段となってる。

会社でも同僚や先輩と仲良くなる良いツールだ。気づけばこれは自分のアイデンティティになっている。

まとめ:小学校までとゲーム

小学校ではゲームをすることで、はじめて友達の輪に入れた。そのため、ちょっと違った形のゲーム依存だった。(今のSNS依存に似ているかもしれない)。

次は中学生
・親にゲームを買ってもらえず駄々こねた
・懐かしのPSP改造
・いじめ(られた)。

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