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『赤鉛筆は消せない』②

私の人生こんなはずじゃなかった。
私は色々考えすぎる。私は「私は、私は」ばかりで他人のことを全く考えていない。私は嫌な経験やことがら言葉ばっかり覚えている、辛いことが好きな人間、これら全て、本来は私の意見ではない。私は、そんな性悪な人間ではない。誤解を与えてる言動ばかりしてしまつ。ADHD  ASD併発なだけだ。

先日本を読んだら、そこにADDのチェックリストが載っていた。全てあてはまる。これでは生まれつきうつ病のようなもの。完ぺき主義と言う言葉に強い違和感。私は何か信条があってやってる訳ではない。完ぺきと呼ばれる状態に持っていっても満足できない。自分が不十分と感じることに「やりすぎ」と言われると悲しいしイライラで頭がプチンと切れてしまってめちゃくちゃ抗ぎしたことをおぼえている。でも内容は詳しくは覚えていない。頭に血が上っていた。否、今もいつものぼる。

認知行動療法5年の成果は、キレちらからさくなくなった。ストレスは溜まるけれど、けんかをすることがなくなった。文句は言うけれど、常に言い方に気をつけられていると思う。それが世間一般の大人のレベルに達しているのかは別にして。こんなに頑張っても、普通という評価も頂けない。

誰も、できているからと言ってほめない。私自信が自分をほめればよいが、自分をほめることばより、けなす言葉がたくさん頭に湧き出てくる。「ちょんと『ありがとう』『大丈夫?」と言ってても、心が伴っていなければ、相手に伝わってしまうよ。そんなの当たり前じゃない。ほんとうに自分にしか興味ないんだねか。心が無い人はムリだよ。努力してるのは伝わるし、がんばってるなぁって思うけど、心が素直にならないと治らないよ。形だけ言われた通りに実行してても、内心バカにしてたり反抗してるといつまでたっても治らない。あなたより後で相談くれた子、素直だから、あなたよりひどい症状だったけどもうすぐに外出られるようになって、モテだして、彼氏できて、婚約したよ。」

私は心から謝罪や謝意を表せないほど疲弊していただけなのに人格まで否定されて今もトラウマとして引きずってる。

その頃に書いたノートがでてきた。「思いやりをもつ」「素直になる」「そう思わなくても『うん』という」とたくさん色々かいていた。
今ならわかる。
私も相手も疲れてるのと不安なだけ。悪意もない。お互い必死。私は最近気づいた。私は過剰適応だ。「そんなこと言っても顔には『違う』って書いてるよ」みたいなことを言われると、わざと相手の想定している悪い方の私像に自分を一瞬で寄せる能力がある。じぶんもだまし来れる。その結果としての今。

(今回は30.6の記録に現在の所見を補足した。)

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