感染症に関する私の提言ってエッセイ

公募に出していたエッセイ文が落選しておりました。

内容的には十分であると考えているのでここに供養を。

皆様の一助となりましたら幸いです。


私の提言。 

] 私からの提言は、「みんな! 足を洗おうぜ!」である。
 順を追って説明しよう。
 昨今のコロナ禍、大変な問題である。感染症という恐怖が人類を襲い、多くの方の生活や生命を奪っている。それに対抗すべくいわゆる「新しい生活様式」が提案され、これはやがて定着していくだろう。この辺りの事情は既知の事と思う。
 感染症の基本的な対策として、原因となる菌やウィルスを体内に入れないという事がある。体内に入りさえしなければ感染は成立しない。何を当たり前の事をと思われるかも知れないが、大事な事なので確認しておく。
 菌もウィルスも突然降って湧いたりしない。どこかから運ばれて、最終的に誰かの口の中に入って感染するものだ。
 これを防ぐ手立ては手洗いうがいであり、拡大を防ぐ為にマスクをするのである。
 加えて感染症との戦いにおいて大事な事がもう一点。この戦いに勝利はないと自覚する事である。
 勝利とは何か。新型コロナを根絶し、一人の新規感染者も出さない事だろうか。だとすれば、そんな事は有り得ない。有り得たとして、恐らく数十年後の遠い未来の事である。
 大事なのは負けない戦いをする事。極端に新規感染者を出さず、重症者を減らし、死者を減らす。感染の確率を漸減し、その確率を維持する事が肝要である。そしてこの目標を当事者全てで認識し、達成し続けていくのが必要な事と考える。
 さて本題。足を洗うとは。
 そのままの意味で、手洗いなどの習慣と共に、靴底を洗う習慣を身につけて欲しいのだ。
 実は靴底に雑菌、ウィルスの類が付いたまま移動している事があるという自覚が一般的には乏しい。今回の新型コロナについても靴底を経由して拡大した事例が少数ながらある。この点をもう少し徹底して欲しいのだ。
 何故こうまで言うのか。
 感染症と聞いた時、どうしても人間の事ばかりを考えてしまう。しかし感染症とはもっと身近な存在であり、脅威なのだ。畜産分野にとって。
 記憶に新しい口蹄疫、鳥インフルエンザ。今なお進行中の豚熱や、海外で猛威を振るうアフリカ豚コレラ、馬疫。これらが海外から入ってくると、畜産が壊滅する。どこを経由して? 例えば、靴底を経由して。
 先の宮崎口蹄疫において、牛・豚合わせて二十九万頭が殺処分された。人間と違い、産業動物である彼らは感染拡大を防ぐ為に薬殺されてしまう。それが法律なのだ。
 原因と言われる説の一つは、海外から来た人間の靴底に付いていた稲ワラ。それに付着していたウィルスが猛威を振るったのだ。
 人間と動物の違いはあれど、感染症予防という点では行う事は同じである。ぜひとも海外へ渡航した方は、靴底を消毒して頂きたい。これが私が社会に求める変化の提案である。
 たかが動物の為に、と思う方もいるかもしれない。その動物を少なからず食べる事で、あなたは生きている筈だ。
 肉が売り場から無くなる。そんな事、想像出来ないだろうか。つい先日、幾ら望んでもマスクや消毒用アルコールが買えなかった時期があったではないか。ともすれば、それが食糧に置き換わるのである。
 外出を控えれば、マスクは使わずに済んだ。しかし食糧はどうだろう。食事を控えれば……当然飢え死にである。
 それを防ぐ手段を、当然農家や獣医師は講じている。ワクチンやこまめな消毒、栄養管理等々。それでも足りないのだ。対策が十分な医療現場ですらクラスターが起きてしまった人間の現場を見るにつけ、完全な対策というのがほぼ不可能である事を今回のコロナ禍でみな痛い程理解できたと思う。
 難しい事は何もない。遠くから菌やウィルスを持ち込む可能性を減らすお手伝いをしてくれれば良いのである。それを普段の生活様式の中に取り込み、当たり前にできるように変わって欲しいのである。
 きっとそれができると私は思う。何故なら、日本の歴史の中で醸成された文化の中にも、そうした公衆衛生に基づいた生活様式があり、私達は当然のようにそれを行ってきたはずだからだ。
 例えば靴を脱ぐ。外の土や汚れを家の中に上げない事は、雑菌が生活環境に入り込む事を抑制している。例えば穢れという考え方。汚れた所は水で洗うのが日本人の習慣だ。
 そうした衛生的生活習慣は古来から生活に落とし込まれ、私達は自然に行ってきている。まして科学に基づいた新生活習慣。現代人たる我々が取り込めない筈がない。
 という訳で、みんな! 足を洗おうぜ! そして健康的な生活を取り戻し、維持し続けていこう!

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