筋肉と有限性

無限の身体などなく、多くは身体というものは、とめどなく発散しようとする精神に有限性を提示するストッパー的役目を果たしている。

有限性、私はこの言葉を真剣に受け止めて咀嚼したことがないのかもしれない。
どこかにもっと良い人がいるのではないか?
他にもっと良い選択肢が、道があるのではないか?

だって、昔から人は殊更に騒ぎ立ててきたじゃないか。「あなたの可能性は無限大」と。ほら、今も!

無限大
無限大?

Qz42=無限

有限会社が消えた時から、いや、「株式会社」なるよくわからぬ化け物が世を跋扈し始めた時から、有限性というものは影を薄めてしまったのか?一具体的表象が消えたとて、無限の意味合いを持つ概念が薄まるか?
無限の概念、「有限性」?
ふむ、「有限性」に全てを委ねすぎているのか?
概念に無限の意味合いをこめてしまう、是精神の発散の一帰結也や?

そう考えると、冒頭にもどらさらるを得ないな。
精神を檻に入れるために機能するのが身体。身体を鍛える、筋肉を鍛える。
これこそが、有限性なるものの真に実践的な概念操作なのか?

つまり、こういうことだ。↓

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