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財政規律など小さな問題に過ぎない。

国の財政規律が大切だという。

しかし、国家の最大の役割は「国民の生命と財産を守る」ことである。

国民の生命を守るとは、即ち安全保障である。
そして財産を守るとは、マクロ経済を守ることである。

生命と財産を比べれば、もちろん生命の方が大切である。つまり、国家にとって最も大切なのは安全保障で、次がマクロ経済なのである。

その他、例えば国内の治安を守るためには警察も必要だが、安全保障を担える力があれば、それを国内向けにアレンジすることは可能だろう。途上国では軍が治安を守っている例もあるし、日本の場合、自衛隊は「警察予備隊」としてスタートしている。

年金や医療などの社会福祉や、子供への教育も大切だが、これらは基本的にお金の問題である。医者や教師は人材の確保が必要だが、お金があれば何とかなる。つまり、マクロ経済の問題である。

安全保障をしっかりして、マクロ経済を活性化させる。それだけできれば、あとは何とかなる。

それに比べれば財政規律など、小さな問題に過ぎない。

逆に言えば、いくら財政規律を守っても国家が存続できないような安全保障環境では意味がないし、マクロ経済が力強ければ税収も上がり、結果として財政規律が保てることになる。

やはり、財政規律など、小さな問題に過ぎない。

ちなみに財政イコール経済と思っている方もいるかもしれないが、それは違う。もちろん関連はしているが、同じものではない。経済の1つの要素が財政というところか。マクロ経済という大きな枠組みの、一つのパーツが財政である。

そう考えても、やはり財政規律など小さな問題に過ぎない。

いや私とて、財政がいいに越したことはないとは思っている。しかしそれは、安全保障をしっかりやって、マクロ経済の発展に必要な支出をした上でで、その範囲内で守るべきものである。

財政が厳しいから国民の生命を諦めるなど、あってはならない。そしてお金がないからと言って、かき集める努力もしないでマクロ経済への投資を諦めるのも、長い目で見て自殺行為である。骨太方針にもあるとおり「経済あっての財政」なのである。

国は通貨発行権を持っており、簡単に言えばお金を自由に刷ることができる。お金がないなら、刷ればよい。

私を含めたリフレ派とて、財政が無制限でないことは知っている(リフレ派と違いMMT派は無制限だと言っているようだが)。しかし、今の財政状況で100兆円程度多く刷っても何の問題もないのだから、必要ならば躊躇なく刷るべきである。

と、いうこと以上に、優先順位というものを考えられないだろうか。
国家にとっての優先順位は、1に安全保障、2にマクロ経済である。

理屈でいえば、いつか将来に、どう足掻いてもお金がない、ということもあるかもしれない。しかしその場合でも、国債発行や他国からの支援を得るなど、出来る限りのことはすべきで、その努力をしないで安全保障やマクロ経済を諦めるなど、国家としての任務の放棄である。

優先順位を間違えていては、ロクな仕事はできない。
財政は安全保障やマクロ経済のために尽くすべきなのである。

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