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【評論】シューマン『人と音楽』


 生涯を通じて苦難に満ちた人生を歩んだロベルト・シューマン(1810-56)は、自己に忠実に向き合うことを忘れようとはしなかった。

自身の胸のうちに存在していた「信念」に従って行動する代償は時には大きく、相反する人間との衝突も少なくなかったようである。

例えば、社会の動向の不条理には敏感に反応し、背を向けるような正義感。

これによる何らかの反動は少なからず存在し、それらに追い詰められて心に生ずる苦悩は彼自身を蝕んだのである。

これによって、彼の心の底には、はかり知ることのできない精神的な辛苦が摺り込まれていた。

結局、苦痛に満ちた人生に抵抗しきれない状況に追い込まれ、人生の最終章で闇の精神に溺没し、落命してしまうことになるのである。

妻クララの父、フリードリヒ・ヴィークとの対立はよく知られているが、ヴィークはシューマンの痴態と行動にはことのほか反応し、徹底的な対抗と排除に踏み出している。

次の引用はその例に漏れるものではない。

「ヴィークはシューマンに対する数々の非難を並べた長大な『布告書』を提出、ついでこれを石版印刷させたため、彼の立場は最初はライプツィヒで、のちにはドイツ中に知られるところとなり、論議の対象となった。ヴィークとの対決がこのようなかたちで新たに先鋭化したため、シューマンはふたたび神経を患い、精神の危機に陥った」(1)

クララとの結婚までのハードルはヴィークの反対によって、非常に高いものであったことは確かである。

ようやく“結婚”という彼等のひと時の幸せを迎える日々に、安らぎを得られたひとときもあった。

しかし、義父との関係は泥沼の混沌とした人生の粉瘤として、最期に心の奥底で膨れ上がる結果となるのである。

このことと併せて、晩年には先に述べた腐敗する社会を嫌悪し続ける真面目で一途な性格に、彼自身は人生の選択の断崖から突き落とされる不幸に見舞われる。

精神の破壊による人間崩壊の危機に追い込まれ、自己の生命を絶つことにも失敗し、苦しみながら亡くなるのである。

 彼は音楽とともに、音楽批評の領域でも独自の視点を貫きつつも、内面性のデリケートな性格を隠せない点を見てとることができる。

芸術に対して厳粛な姿勢を示した批評精神は、その時代の新しいスタイルにつながる活動を示唆したものだ。

シューマンは文学の側面からも音楽を考察することに優れていた。

例えば、彼の作品のひとつである《フモレスケ》作品20。

“フモール”を「心地よいものと機知に富んだものとの幸福なる結合」の意ととらえ、《フモレスケ》は「それほど陽気でもなく、おそらく自作のなかで最も憂愁に閉ざされたものである」と語っている彼の視点はユニークである。(2)

 作曲家シューマンの仕事を語る上で見過ごせないのは、音楽の美しさとしてロマン的な旋律美にあふれていることであろう。

その作風にはオーケストラの色彩や音質よりも、旋律の本質を重視する感覚の鋭さが感じられる。

彼の作品を聴く際には、オーケストラ作品においては華麗なハーモニー、音の重なりに見る響きの美しさより、作風に見られる旋律美と作風としての特長を見出せるようになると、聴き方に一層、楽しみが倍増する。

そのことは作品の強固で安定した骨格構造のなかで、オーケストレーションの素朴さに魅力を感じることにもつながる。

この素朴さには人を惹きつける魔力が備わり、聴いているうちに麻酔されていく不思議な感覚があるのだ。

組み立てられた和声に乗った旋律の美しさの味わい、そしてピアノ作品などに見られる楽曲構成のオリジナル性に注目した鑑賞のしかたはシューマンの音楽を最大限に理解した楽しみ方と言えよう。

⑴アルンフリート・エードラー著『シューマンとその時代 大作曲家とその時代シリーズ』P45
山崎太郎訳 西村書店 2020年7月3日第1刷発行
(2)同書P44




【引用】
⑴アルンフリート・エードラー著『シューマンとその時代 大作曲家とその時代シリーズ』
山崎太郎訳 西村書店 2020年7月3日第1刷発行

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