(22-06-08E)擬人化された英単語が地球を救う。はあ?【小説】ことだまカンパニー エピローグ(6)~(8)
六
斎藤と部下たちはたまったものではないだろうが、これが古都田社長なんだと万三郎たちは顔を見合わせてニヤリとした。
「社長、元気じゃん……」
そうつぶやいた瞬間、いきなり古都田に名前を呼ばれた。
「中浜くん!」
「はっ? は、はい!」
万三郎はびっくりして反射的にその場に立ち上がる。古都田社長は間髪入れず、二人の名前も呼んだ。
「福沢くん! 三浦くん!」
「はい」
「はい」
慌てて立ち上がる二人。たった今、祝賀会の和やかな雰囲気をぶち壊す社長のパワーを目の当たりにしただけに、次に何が起こるのか周囲も固唾をのんでいる。
「諸君、英語事業部みどり組の、この三人のETが、特任国家公務員、救国官である。このたび地球を救った」
たちまち会場が万雷の拍手に包まれた。ヒューという指笛や、「よくやった!」とか「いよっ、救国官」なんてはやし立てられた。
「よって! その英雄的活躍を称え……」
一転して会場は水を打ったように静まり返る。地球を救ったのだ。金一封どころの話ではなかろう。何百万、いや何千万の単位ではないのか。杏児の喉仏がごくりと上下する。
「みどり組の名称を改め、『きみどり組』とする」
「は……?」
三人が三人とも古都田社長の意を図りかねていた。
杏児が訊く。
「社長、ぜ、前節をもう一度……」
「その英雄的活躍を称え……だ」
「で、主節が?」
「『きみどり組』とする……だ」
古都田は例の、笑わない笑顔で、杏児の視線をがんじがらめにした。杏児は硬直している。
「良かったな。未熟者から少し熟しかかって『きみどり』だ」
古都田は思い出したとばかり手をたたいた。
「おおそうだ。大泉総理大臣の名前で感謝状が届いている。君たち一人ひとりに。よかったな」
「……」
「し、社長! ほかに何か、な――」
杏児を遮る形で古都田の声がかぶさる。
「何かね、特別指示書に従って職務を遂行したに過ぎない、国家公務員倫理規程第三条第一項金銭等の受取禁止の適用範囲内に該当する特任国家公務員の三浦杏児くん?」
七
私はこれから用があって退席するので、君たち三人が「きみどり組」に昇格した喜びをそれぞれ皆の前で述べた上で、乾杯の音頭を取れ――。そう命じられた三人は、古都田と付き添いの恵美を皆と一緒に拍手で送り出した後、マイクの前に立った。古都田が去っても、今神がいる。ETの行動を逐一報告する任務を負った男だ。三人は乾杯用のグラスを手にしてマイクの前で順に感動を述べた。
「光栄です」
「光栄です」
「光栄です」
通夜のような静寂の中、注いだビールの泡が消えていく。たまりかねた倉間過去完了ほうぶん先生が立ち上がり、マイクの前にやってきて、古都田社長の口真似で言った。
「諸君! もう一つ、重大発表を忘れていた。これから申し述べることは社外秘であるから心するように。英語事業部の倉間ほうぶんくんは、ロシア語事業部の講師、エカチェリーナ女史に『ほ』の字なのだそうだ。そうだな、ほうぶん先生?」
万三郎が小声で訊く。
「ユキ、『ほ』の字って何」
「好きってことよ」
マイクがその声を拾ったので、会場が騒然となった。
「なんてこったい、ホーリー・マッカラル!」
ほうぶん先生は今度は両手で自分の頬を挟むと、万三郎の声を真似てそう言っておいてから、素の自分に戻るという、落語のような一人芝居をした。
「やや、かくなる上はそれがし、この機会に当たって砕けるのみ! エカチェリーナ先生! 好きでござる。Я люблю тебя.(ジャリュブリュー チェビャー)」
当然、皆の視線は会場の隅に座っていたエカチェリーナ先生に注がれる。彼女は顔を赤らめて「ダー」と頷いた。たちまち会場が爆発した。拍手や万歳や指笛や冷やかしが飛び交う。場を盛り上げるのが上手なほうぶん先生だったから、まったくの仕込みネタだったのかもしれない。が、ともかく場の空気は一気にほぐれ、祝賀会らしくなった。
「おのおの方、無礼講でござる! For the Words, cheers! (チアーズ)ワーズたちに乾杯!)」
万三郎たち三人の肩を抱きながら、ほうぶん先生はグラスを高く掲げる。
「!Salud!(サルー!)」
「За здоровье!(ザ・ズダローヴィエ!)」
「???? ???!(ヒータエフン・ラホーム!)」
「Tchin Tchin!(チン・チン!)」
「干杯!(カンペイ!)」
ほうぶん先生にほだされた万三郎、杏児、ユキもお互いにグラスを合わせた。
「カンパーイ!」
八
宴もたけなわとなっていた。
「ビールおいしい! はあー、命あっての物種だわ。幸せー」
英語事業部の三人は今回、ヒーロー&ヒロインだった。皆が代わる代わる寄ってきてはビールを注ぎ、お祝いを述べ、うらやましいと言った。
「くそー、フランス語、中国語、ロシア語も一応、国連公式言語なんだけどなー。ま、今回は英語に花持たせてやるよー」
「おいおい、そんな何回も地球の危機が来てたまるか」
親しくなった他事業部の連中との会話も弾んだ。杏児のそばにはいつの間にか恋人の藤堂明穂も寄り添っている。寄ってくる人たちがたまたま途切れたところで、杏児がユキに訊いた。
「ところで石川審議官は今日、来られていないね?」
「ああ、うん。恵美さんから聞いたんだけど、古都田社長も石川さんと合流して、これからお通夜で、明日お葬式みたいなの。ほら、あの退官されて山梨県にご隠居されていた内村鑑三郎さん、お亡くなりになったみたい」
「へえ、そうなんだ」
「あの台風の夜だって。お家の中でお一人で。たぶん、心臓麻痺か何かだろうって」
「で、今頃お通夜?」
「地元の方で先に密葬を済ませてあって、明日が本葬、告別式になるんだって」
ユキの説明に、杏児がため息をついた。
「せっかくアポフィスがそれて助かったってのに、皮肉だね」
すると、驚いた顔の万三郎が、得心したように口を開いた。
「俺、たぶんその人から、残りの命のエネルギー、もらった気がする」
杏児がぽかんと口を開ける。
「へ?」
「ことだまワールドで、その人から言われたんだ。君はまだ若いから、私の生命を君にやろうって。それで俺、死にそうだったけど生き返ったんだ」
とたんに杏児が笑い出した。
「万三郎、それは違うよ。お前が死ななかったのは、ユキのお蔭だよ」
今度は万三郎が「へ?」と訊く。
「お前の口の周りに、口紅がついてた。お前が目を覚ます前に俺が拭き取ったけどね」
ユキの顔が見る間に真っ赤になっていく。即座に杏児が、ジェスチャー入りで、ユキの心情を口に出して説明し始めた。杏児は自分の両頬に掌を当てて大仰に目をむいた。
「しまった! 暗闇で見えていなかったわ! 万三郎が息を吹き返したことで私、安心してそのまま眠ってしまったんだわ。なんてこったい、ホーリー・マッカラル!」
これまでで一番頬を赤く染めたユキの目の前で、頭を抱え込んで見せた杏児は、頭を起こすと意地悪くユキを指さした。
「あれえユキ、何だがホッペが異常に赤いよー」
それを聞いたユキは、突然立ち上がる。
「わわわたし、ちょっと酔ったから、よ、夜風に当たってくる……」
堀りごたつだから、杏児の足を蹴飛ばすわけにはいかない。悔し紛れか、立ち去り際にがけにユキはしゃがんで、杏児に耳打ちした。
「たた対向車が来たらどじょうすくい踊ってやるって、あの時言った言葉、よもや忘れてないでしょうね……」
それだけ言うと、ユキはすたすた歩いて部屋から出て行ってしまった。
「おー、こわ……」
肩をすくめて苦笑いしながら、杏児は万三郎に目配せする。
――行けよ。
万三郎は心得て席を立っていく。杏児はそれをゆったりと見送った。
ほろ酔いで頬を上気させた、ちづること藤堂明穂が杏児にもたれかかってきた。会社の酒宴なので、杏児は少なからず戸惑って周りをそっと見回す。幸いに周りは、我れ関せずという雰囲気だ。
「明穂。君がこっちに来る前、気になってたんだけど、いくら酒の席だからといって、君、中国語事業部の同僚の男性にちょっと馴れ馴れしすぎやしないか」
杏児はここ数週間で、ちづるのETネームに次第に慣れてきていた。明穂はもたれかかったまま杏児に顔を向けて艶やかに笑う。
「あれ、杏ちゃん、妬いてるの?」
杏児は苦々しい顔をする。明穂の方もユキの影響か、杏児のことを「杏ちゃん」と言うようになった。それはいい。ただ、恵美が、「大したことないわ」と言っていた、明穂の高速学習の副作用は、アルコールが入ると気が大きくなることだと後に知らされたのだ。
――妬いている? いやそうじゃない。地球のXデーが近いときに、明穂は誰と酒を飲む機会があったのか、それが気になっているだけだ。うーん……僕はやっぱり、妬いているのかな……?
杏児自身にもアルコールが入っているので、だんだん、どうでも良くなってきた。
「心配しなくても、私は杏ちゃんに『ほ』の字よ」
酔いに任せて明穂がそう囁き、またしなだれかかってくるので、杏児の口元はつい緩んだ。明穂がさらに、耳元で囁いてくる。
「ね、うちの事業部でちょっと耳にしたんだけど、亡くなった内村さんと、石川さん、それに古都田さんの過去って、興味ある?」
杏児はとろりと返事をした。
「うん、あるある」
三分後、百人座敷のお店全体に杏児の絶叫が響きわたった。
「何だってぇーッ!」
(了)
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