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五代目が語る、「なぜ今、しずおか鋳物ブランドなのか?」

みなさんこんにちは!
しずおか鋳物の会社、「栗田産業(KURITA)」です。

現在わたしたちは、企業向け工業製品のほか、「重太郎(JUTARO)」というブランド名で、一般消費者向けに鋳物製品を製作・販売。
しずおか鋳物ブランドとして、その魅力を静岡県内外に広める活動をしています。

鋳物が盛んにつくられていた当時と比べ、現在は鋳物に限らず、数多くの商品が世に溢れている時代。
そんなタイミングでなぜ、鋳物ブランドをつくったのか。

そのきっかけや想いについて、栗田産業五代目・栗田圭に話を聞きました。

栗田産業株式会社 取締役副社長
五代目 栗田 圭



みなさんこんにちは、「栗田産業(KURITA)」の栗田です。
前回の投稿では、初代・栗田重太郎の生い立ちを紹介させてもらいました。

わたしがその重太郎の想いや会社の歴史をきちんと知ったのは2015年、栗田産業125周年のパーティがきっかけです。
500名ほど集まる大規模なイベントとあって、会社の歴史について自分なりに資料を集め、その資料をもとに編纂(へんさん)していたのですが、7歳で働きに出たこと、身を削ってまで鋳物文化の発展に貢献したという事実を知ることになりました。

7歳という幼さで現場に出たことで、どれだけ苦労があったか。
その苦労と努力によって体得された技術が今日の栗田産業(KURITA)に脈々と受け継がれていることが、どれだけ貴重なことか。
それを考えただけで……今でも涙が溢れてきます。

この重太郎の想いは絶対に絶やしてはいけない。

栗田家に五代目として生まれたわたしは、自分の実力でどこまでいけるか挑戦してみたいと、家族を説得し、音楽大学に進学。
トランペットを専攻し、4年間という限られた時間のなかで、肉体的にも精神的にも限界までチャレンジすることができました。

プロを目指す音楽の世界は実力主義。上手か、下手か、です。
また、どれだけ練習でうまくいっても、本番で失敗すればそれだけで評価されます。
言い訳は無意味で、結果で示すしかありません。
そのために、わたしたちはそのために日々鍛錬し、自分の実力を磨き上げる努力をしていました。
つねに出てくるのは自分の限界であり、それを克服するため、自分の限界突破に挑戦するという毎日。

わたしはそのかけがえのない環境で、自分の限界を自己努力によって越えていくことの大切さを学びました。

それが私の根幹にある大きな価値観です。

音楽の道に区切りをつけ、家業に関わることになったとき、わたしはこのエネルギーを社業の発展に全力で投入すると決意しました。



世の中から存在することを認められる企業を目指し
世の中から必要とされる人間になることを目指します

掲げているこの経営理念を体現するためにはどうしたらよいだろう。

そう考えたとき、"世の中から必要とされる"には、伝統産業だからといって、古き良きものだけに固執しているのは違うと考えました。

時代によって認められる・必要とされるものは違う。
人々の生活の変化、世の中のニーズの変化にスピーディーに対応していかなければならない。
それはわたしたち働き手の環境だって同じ。
だからこそITを導入するなど、"挑戦する"鋳物屋を目指しました。

しかし、そこで待っていたのは根幹を揺るがす課題。

社内にはどことなく、「上から仕事が降りてくる」「決まったものをつくればよい」「ここで働いていれば安泰」といった、下請け制度的な精神、受動的・依存的なムードが漂っていました。

生産性向上のため、フォーマット化や役割分担はとても大切です。しかしながら、ある一部の作業しか担当しないまま10年が経ち、気付けば一貫してものをつくれる職人がいない……そんなリスクが発生します。

実際わたしたちは、「重太郎(JUTARO)」ブランドを立ち上げたとき、その現状に気が付くことができました。

仕様がないと、つくれない。
指示がないと、つくれない。
ITを活用しようにも、イノベーションを起こそうにも、大前提の部分がゆらいでしまうという存在危機。

これでは、初代・栗田重太郎に顔向けできない。
「重太郎」の名を借りるのにはこんな状態でいいのか……そう自問自答を繰り返し、職人を育成するという、いわば原点回帰のミッションにも取り組んでいこうと決意しました。


重太郎(JUTARO)」はもともと、初代・栗田重太郎が"鋳物を通じ静岡へ貢献”していたことから、しずおか鋳物ブランドとしてスタートしたブランドですが、現在は職人育成としての側面も担い、ゼロから最後まで、ひとりの職人がきちんと“つくれること”も目指しています。

自分たちで汗を流しながら企画し、型をつくり、製作し、販売する。
「つくったけど売れなかった」というのも、またリアルな体験のひとつだと考えています。

そうして、ものづくり技術を取得・研鑽するだけでなく、精神的な依存から脱却し、鋳物産業で働いているということ、自分たち鋳物づくりの活動が唯一無二のものだということに、自信と誇りをもってもらいたい。
実際、「株式会社タミヤ」さんとのコラボレーションで商品を製作したり、県内外メディアに取り組みを取り上げられたりすることで、少しずつメンバー全体のマインドが変化してきていると感じています。


長期的視野に基づいた取り組みではありますが、創業目的である「鋳物を通じた地域社会への奉仕・貢献」を考えたとき、きっと初代・重太郎も同じことに取り組んだはず。
そう信じて、これからも「重太郎(JUTARO)」の取り組みを続けていきたいと思います。


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