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とどめ得ぬもの が、きっと僕にもあるはずだ

何かを生み出せる人に対して、長らく劣等感を感じることがあった。「デザイン」という言葉に対して強い憧れがあるんだ。目に見える形にして、自分の内側を表現することができるひと。まだ、誰も見たことがないようなモノやカタチを生みだすひと。

自分の内側にある思いを、カタチに乗せて伝えられたらと思う。言葉でもいい。押し付けがましくなく、気づいたら ずっとそっとそばに居てあげられるような。


今日は上田市サントミューゼで行われている篠田桃紅「とどめえぬもの 墨のいろ こころのかたち」展に。

100歳を超えてもなお、今も健在で表現を続け水墨抽象画という独自のスタイルにまで昇華されている(僕が語るよりも何よりも、とにかく作品を見てほしい)。墨の濃淡や線、余白などで画かれた作品は意味としてではなく、視覚として目が喜ぶ感覚だった。余分なものはそこになく、湧き上がる一瞬の心のかたちを、見得るものへとするための探求。


写真を撮ったり、こうやってnoteに文章を綴っていて思うのは、自分の中にまだまだ言い得ない、表現しきれないことがあると感じるのだ。

どこか嬉しくも、もどかしい。やって見たからこその失敗と、歯がゆさがあるからこそ、確かにそれはある


上手く言おうと誰かの言葉を借りてみても、途端に陳腐なものに感じられてしまう。もっと、自分の言葉で、もがいて失敗した先にしかない。正解もないけど、目に見得ないもの。

きっと聞こえてくる、自分の声に耳をすまして。


もう一つ、先週のことだけど、ウチダゴウさんの新アトリエ併設のギャラリー「SHITEKI NA SHIGOTO Gallery」で、企画展「デザイン会社Allrightの仕事と言葉展」を見た。
いつも目にするデザインは、さまざまな出来事や日常の積み重ねの上にあった。みんなもがいてもがいて、今を生きているんだと。

励ましの風が、安曇野に吹いていた。

ありがとうございます。 見てくださるあなたがいるから、頑張れます。