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アンドレア・バイヤーニ『家の本』(白水社)、「訳者あとがき」

[2022年9月に日本語訳が出版された、アンドレア・バイヤーニ『家の本』(栗原俊秀訳)の「訳者あとがき」を、版元である白水社の了承を得た上で、以下に転載します]

二〇二一年、イタリアでもっとも著名な文学賞「ストレーガ賞」のロングリスト(一次選考候補)に選ばれた十二作品を紹介する動画のなかで、審査委員長のメラニア・G・マッズッコは、同年の候補作に共通して認められる特徴として、作家の私的な経験を反映させた物語が多いことを指摘している。作品の舞台は往々にして、地方、郊外に設定され、友人や家族との関係性に焦点が当てられる。個人の物語が「大文字の歴史」に結びつくケースもなくはないが、基本的には、内輪で完結する「ミクロストリア」の性格が色濃い。一部の作品では、「住まわれ、失われ、物に占拠され侵蝕された家が、ある種の〈登場人物〉のように」描かれている。私たちが丸一年、家屋という物理的な「壁」、国境というメタフォリックな「壁」に閉じこめられて過ごしてきた事実を踏まえるなら、同年の優れた文芸作品がこうした諸特徴を共有していることは、けっして偶然ではないだろうと、マッズッコは締めくくっている。この年、ストレーガ賞の一次選考を通過し、最終候補(ショートリスト)の五冊に残った作品のひとつが、ここに訳出したアンドレア・バイヤーニ『家の本』(Il libro delle case, Feltrinelli, 2021)である。
 イタリアでは、二〇二〇年の春から長きにわたって、「家にいよう」が社会を守るための合言葉となっていた。それはまた、「家」という場のもつ意味、担う役割が、多かれ少なかれ変質を被った時期でもある。「家とはなにか?」、「私たちは家についてなにを知っているのか?」こうした問いに意識を向けるよう、私たち読者に促してくる本書『家の本』は、家と人の関係が再考された一年を象徴する一冊とも言える。
 もっとも、作品を読んでいただければわかることだが、この本はパンデミックを題材とした小説ではけっしてない。「ガスプラントの家、二〇二〇年」と題された第六十五章において、ロックダウンのさなかと思しきローマの光景が描かれている点を除けば、作中に、新型コロナウィルスを想起させる記述はいっさい見当たらない。
 小説は全七十八章から構成され、ひとつひとつの章に、家の名前(「○○の家」)と年号からなるタイトルがつけられている。「地下の家」、「亀の家」、「姦通の家」、「言葉の家」……数ページ、ときには二ページにも満たない短い章の連なりのなかから、「私」が生きてきた時間と空間が浮かびあがる。
 叙述スタイルには、いくつかの際立った特徴がある。まず、本書は「私」という人物をめぐる物語だが、にもかかわらず、一人称ではなく三人称の小説として書かれている。英語やフランス語と同様、イタリア語は主語の人称により動詞の活用が変わってくる。『家の本』では、動作主が「私」の場合も三人称単数の活用形が用いられ、語り手と「私」のあいだに明確な線が引かれている。
 登場人物に名前がない点も、一般的な小説と趣を異にする点である。なお、イタリア語原文では、「私」は「Io」、「父」は「Padre」、亀は「Tartaruga」といった具合に、語頭に大文字が用いられ、あたかも固有名詞であるかのように表記されている(ただし、「Tartaruga」と大文字で書かれる亀は、「私」が同居していた「地下の家」の亀に限られる)。訳文のなかで、「私」を鉤括弧でくくる処置をしたのは、三人称としての「私」、固有名詞としての「私」という側面を読み手に伝えんがための、訳者による窮余の策である。
 さらに、この小説には会話の場面が存在しない。ごくまれに、登場人物の発言が鉤括弧とともに提示されることもあるが、それらはみな一方通行の発話であり、いかなる応答も得られないまま虚空のなかに紛れて消える。『家の本』は「声」を欠いた小説であり、本書を読んでいるあいだ、読者の耳は深い静寂に包まれる。
 本書の刊行後、イタリアの新聞、雑誌にはおびただしい数の書評が掲載された。多くの評者が指摘するとおり、『家の本』には明らかに、著者の自伝的な要素が認められる。アンドレア・バイヤーニは一九七五年、『家の本』の「私」と同じく、ローマの「地下の家」に生まれている(作中で暗示されているとおり、一九七五年とは、詩人・映画監督のピエル・パオロ・パゾリーニが殺害された年でもある)。三歳のとき、北伊ピエモンテ州の自治体ロッカヴィオーネに転居し、以後、高校を卒業するまで同地で暮らす(高校卒業資格を得るための論文では、パゾリーニの詩をテーマに選び、九十ページを執筆したという)。十九歳になると、トリノ大学文学部で学ぶために、親元を離れてトリノで暮らすようになる。大学を卒業後は、この世代のイタリア人にふさわしく、不安定な職を転々として数年を送っている。二〇〇二年、中篇「教皇が死んだら(Morto un papa)」を独立系出版社から発表して以後は、現在までコンスタントに小説の執筆を続けている。
 すでに本書を読まれた方であればお気づきのとおり、『家の本』は、「私」をめぐるごく私的な物語に、七十年代のイタリアを揺るがしたふたつの事件が重なり合うように書かれている。アルド・モーロ(「虜囚」)とパゾリーニ(「詩人」)。戦後イタリアにおける、もっとも悲劇的であり、いまなお不可解な点に満ちたふたつの「死」が、「私」という個人の物語と、イタリアという国家の歴史を交叉させる役割を果たしている(本書では、フィアット、ルノー、アルファロメオという「車輪のついた家」が、三者の生-死を結びつける小道具として機能している)。パゾリーニとモーロの死は、「真実に関心を寄せない国家(イタリア)」の象徴であり、彼らの死を取りまく「影」や「謎」こそ、文学の想像力が釣り糸を垂らすべき領域だとバイヤーニは主張している。

『家の本』がストレーガ賞のファイナリストに選出されたことは冒頭で述べたとおりだが、この本はまた、ストレーガ賞と並ぶ著名文学賞であるカンピエッロ賞の最終候補にも選ばれている。いずれも受賞は逃したものの、二大文学賞へのノミネートを通じて、バイヤーニの名がイタリアの読者に広く印象づけられたことは間違いない。すでに批評家のあいだでは、「中堅世代を代表する書き手」という評価が定着していたとはいえ、バイヤーニはいわゆる「ベストセラー作家」とは異なる。玄人筋と一般読者、双方から一定の支持を受けたという点で、『家の本』は現時点におけるバイヤーニの代表作と呼ぶにふさわしい(なお、日本でも多くの読者を獲得し、近年はイタリア語による執筆にも取り組んでいるジュンパ・ラヒリも、バイヤーニを「現代イタリアにおける最良の書き手のひとり」と評している)。イタリア国外の出版社もこの作品には熱い視線を注いでおり、エージェントが公開している情報によれば、仏、独、西をはじめ、すでに世界十七か国で翻訳権が取得されているという。
 バイヤーニの初期の仕事に目を転じるなら、著者の名を高めるきっかけとなった「敬具」(Cordiali saluti, Einaudi, 2005)という中篇が興味深い。この小説の語り手(『家の本』と同様に、語り手に名前はない)は、とある企業で「解雇通知文書」の執筆に従事している。いつしか、同僚から「キラー(殺し屋)」と呼ばれるようになった彼は、解雇通知文書にはおよそ似つかわしくない文学的な修辞を駆使しながら、同僚との思い出を感動的な筆致で綴り、月末までにデスクの私物を撤去するよう冷徹に要請する。今日の社会における企業と人間の在り方を、皮肉なユーモアをもって活写した佳作である。
 バイヤーニの著書のなかで、日本の読者の関心をもっとも強く引きつけるであろう一冊を選ぶとしたら、それは二〇一三年に刊行された「私がわかりますか」(Mi riconosci, Feltrinelli)を措いてほかにないだろう。この本は、著者の「師」であり、かけがえのない友人でもあった、アントニオ・タブッキとの思い出に捧げられた小説である。若い作家と思しき語り手が、年配の作家らしい「あなた」に語りかける形で物語は進行するが、このふたりがバイヤーニとタブッキであることは、両者の関係を知る読者であればすぐにわかる。作品のタイトルは、「あなた」が語り手の携帯電話に送信した、リルケの詩の一節(「私がわかりますか、いまもなお、かつての私の場所に満ちた空気よ」)に由来している。小説は、「あなた」と呼ばれる人物の葬儀の場面から始まり、時系列を前後しながら、「私」と「あなた」のパリでの出会いや、ピサ近郊のヴェッキアーノにある「あなた」の実家で過ごした時間が、淡々とした、ときに幻想的な筆致で描かれる(どことなく、タブッキが研究者としての生涯を捧げた詩人、フェルナンド・ペソアの小説のような雰囲気も感じさせる)。あるインタビューのなかで著者が明かしているところによれば、ふたりの交流は、バイヤーニの長篇「もし罪だと思うのなら」(Se consideri le colpe、Einaudi, 2007)を読んだタブッキが、著者に手紙を書こうと考えたことをきっかけに始まったという。同書の刊行からタブッキが没するまでの時間は、ほんの五年足らず。その短い歳月で、ふたりの作家はなんと濃密な時間を共有したのかと、羨望と賛嘆の入り交じった思いを読者に抱かせる一冊である。なお、バイヤーニは二〇一三年十月、イタリア文化会館(東京)で開かれたタブッキをめぐるシンポジウムのために来日し、登壇している。

すでに本書をお読みになられた方であればおわかりのとおり、『家の本』は「小説」でありながら、ところどころ「散文詩」のような趣もたたえた作品である。実際、『家の本』の「私」と同様、著者バイヤーニは詩人でもあり、二〇二二年には、自身にとって三冊目の詩集「愛が先にくる」(L'amore viene prima, Feltrinelli)を上梓している。訳者にとって、詩的な想像力から紡がれる言葉の解釈はときに困難をきわめ、翻訳が遅々として進まないこともめずらしくなかった。自身の読解に不安が残る箇所にかんしては、友人のマルティーナ・ディエゴさんに、細かく訳文をチェックしてもらった。谷川俊太郎の詩、夏目漱石の俳句などをイタリア語に訳す翻訳家であり、自身も(日本語で)詩を書くディエゴは、私が訳文のチェックを依頼する前から、アンドレア・バイヤーニの仕事に積極的な関心を払う一読者でもあった。ディエゴの丁寧な指摘のおかげで、原文の背後に潜む意図にはじめて気づいたことも多々あった。もちろん、全文を逐一チェックしてもらったわけではないので、拙訳に間違いが残っていれば、それはすべて訳者の責任である。また、校正者の鹿児島有里さんからも、貴重な助言を数多くいただいた。この場を借りて、皆さんにお礼を申しあげたい。
 訳者が本書を知ったのは、イタリアで原書が刊行されるよりも前に、版権エージェント(日本ユニ・エージェンシー)から紹介を受けたことがきっかけだった。イタリアの大手版元フェルトリネッリが、「二〇二一年イチ押し」のタイトルとして、強く売り出している作品ということだった。正直に告白するなら、当時の訳者はバイヤーニにまったく注目しておらず(先述のとおり、彼は「売れ筋」の作家ではなく、イタリアのネット書店を定期的にチェックしていても、ベストセラーリストにその名を見かけるようなことはない)、「タブッキと親交のあった作家」ということ以外、ほとんど予備知識もなく作品を読みはじめた。だが、第一章「地下の家、一九七六年」を読み終えるころにはもう、バイヤーニの言葉の魔力にとり憑かれていた。亀と赤ん坊のなにげない触れ合いを描いただけの文章が、なぜこうも心を揺さぶるのか、そのわけを知りたくて(たびたび行き当たる晦渋な表現に難儀しつつも)先を読み進めていった。風変わりな魅力にあふれた作品を紹介してくださった日本ユニ・エージェンシー、本書の企画を受けとめてくださった白水社の藤波健さんに、心から感謝したい。タブッキの小説を日本に最初に紹介した白水社からバイヤーニの翻訳を出せたことを、たいへん嬉しく思っている。
 
二〇二二年六月 佐倉にて 訳者識

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