レビー小体型認知症の母の最期の記録①【2011/12/23~26】
2012/1/17
母が生きた最後の数日間を、記録しておかなくてはと、思えば思うほど、億劫になってしまう自分がいる。
母のあの顔を、身体を、生々しく思い出せばやはり、心が乱れるからだ。
◆12月23日(祝)
母は、土気色の顔をしている。ベッドの上で薄目を開けたまま、うとうとする時間が長くなった。僅かに開いた母の瞼の隙間から、黒目が左右に動く様を見ていると、もしかしたらこのまま逝ってしまうのではないか、そんな危機感が今まで以上に胸に迫ってきた。
でも、それならそれでいい。私が傍に居る時に息を引き取るならば、私は今、ただ母の顔を見つめ続けるだけだと、不思議なほど静かな、強い気持ちになって、胸がしんとした。
看護師が点滴をしにやってきた。この頃にはもう、何度も点滴の針を入れ直すことが増えていた。母の血管は細く、すでにボロボロで、一旦は上手く針が入ったように見えても、血管の外に液が漏れてしまい、針を挿入した周りが腫れあがってしまうこともあった。漏れないまでも、痛みだけが強く、結局針を抜くこともあった。
それでも母は、「やります」と応える。どうにか点滴が上手く入り、母は綺麗に身支度を整えてもらい、車椅子に移動した。
病院の1階ホールで開かれる、無料のクリスマスミニコンサートを観るために、私は母の車椅子を押していった。点滴の袋をぶら下げた車椅子は、そして母ほど痩せこけた患者は、どこにも見当たらなかった。母はおそらく誰よりも一番死に近いところにいるのだと、周囲を見渡して痛感した。
真っ赤なロングドレスを着たオペラ歌手が、素晴らしい声量で唄う。日本語の歌の時は、歌詞に合わせて母も小さく口を動かす。母は歌詞を憶えているのだ。
途中で瞼を閉じかけた母が、20分ほど経過したところで「行こう」と呟くので、私は車椅子を押してその場を離れた。そして母がずっと行きたがっていた、病院内にある、素晴らしく広々とした喫茶室に向かった。転院したばかりの頃はまだ、母はほんの少しなら、ここでケーキを食べ、珈琲を味わうことができたのだ。
今はほとんどの食べ物を呑み込めなくなっていることは、母も私も分かっていたけれど、母の希望どおり、ショートケーキと珈琲を注文した。
生憎ショートケーキは売り切れだったので、代わりにレアチーズケーキを、フォークの先にほんの一口、いや、一舐めほど載せて、母の口に運んだ。珈琲カップをもう一つもらって、僅かに二口分ほど移し替え、ミルクと砂糖を入れて混ぜ、泪ほどの量が母の口中に注がれるようにした。それでも母はむせ、呑み下すことはできなかった。
この日の母の口からは、今までは感じたことのない、不思議なニオイがした。ただの口臭というよりはもっと強いもの。前の病院で、長く胃ろうをして横たわっているだけの95歳の老女から時々発せられていたニオイ、かつて私が「死臭」と呼んだニオイに似ていた。
母の喉の奥には痰が絡まっていて、以前は難なく自力で排出できていたのだが、最近はそれも難しくなってきていた。喉からはゼロゼロと音がする。咳をしても、痰は喉の奥にくっついたまま、母は苦しそうな顔をする。
「吸引してもらう?」と訊くと、少し前なら頑なに拒んだ母は、哀しそうに眉間を曇らせて頷く。私はナースコールをする。
歯の生え揃っている患者は、喉から吸引しようとすると、どうしてもチューブを噛んでしまうのだという。母もはじめは口からチューブを入れ、痰の吸引をした。二度、三度。母の口には力が入り、やはりチューブを噛んでしまっている。
どうしても取りきれない痰を、結局我慢して、鼻から吸引することになる。「ごめんなさいねぇ」と言いながら、看護師は大胆にチューブをズンズンと鼻の中に押し込んでいく。苦しそうに顎を上げ眼を固く瞑って堪えている母の顔を見るのは、あまりに辛い。見ている私のほうが、胃液が上がってきそうな気がする。
心臓が止まらない限り、こんな苦しい思いをしなければならないなんて、今の母にとってあまりに残酷だと、私は思う。「点滴をやると、痰が増えるってこともあるんですよね…」と、看護師が呟く。
「今日は、喫茶店に連れて行ってくれて、ありがとう」と、帰り際、静かに母が言う。
◆12月26日(月)
前回、母の主治医と姉が面談をしたのは、11月19日。私は風邪をひいて熱があったので、その場に同席することができなかった。そして次回の面談は、1月の中旬と決まっていた。
姉は少し前から、母の点滴をやめさせたいと思っていた。最低限の栄養とはいえ、点滴をすることで母の命を永らえさせることに、いったいどんな意味があるというのか……、姉はそう考える。
もし、母の命が何日か、何週間か、延びたとして、誰にも看取られず逝くよりは、点滴をやめることである程度死期の予測がつくならば、毎日通ってでも、病院に泊まり込んででも母の傍にいて、最期を看取ったほうがいいのではないか……、姉はそう考える。
だから主治医に、点滴をやめるようお願いしてみようではないかと、26日の月曜日、ちょうど主治医が勤務している日を狙って、姉と私は病院に向かった。主治医といっても、普段から特に、母を診ているわけではない。老人病院では介護が中心になるのだから、母のことをとにかくよく理解しているのは看護師と介護士などのスタッフ達だ。
主治医は母のデータを見ながら、一通りの説明をする。母の体重は、11月初旬には32キロ。12月11日にはすでに、28キロまで減っていた。更に痩せている今は、だから25キロくらいだろうと、私は少し動揺する。母の身長を考えれば、通常は30キロを切ると危険な状態であるという。今はすべてがギリギリの状態。
普段している点滴は、もう少しカロリーがあるのかと思っていたが、たったの100キロカロリーだという。週に2回ほど、点滴に若干他の栄養をプラスしているとのこと。
一口二口、たまに調子が良ければもう少し食べることができる母でも、ほとんどは痰と一緒に口から戻ってきてしまうのだから、一日にほぼ100キロカロリーしか摂取できていなかったことを、改めて知る。母が日ごとに痩せていくのは当然で、そしてそれが本来の、動物としての人間の終わり方に近いのだと、考える。
姉が自分の想いを主治医に伝えると、主治医はとても回りくどい、ひどく解りにくい言い回しで、ダラダラと言葉を続ける。「ドラマティックなことは期待しないほうがいい」と、主治医は言う。
要するに主治医は、点滴をやめることには反対であるということだった。今の点滴は、現代の医学では最低限レベルの、当然の行為であること、それを止めてしまえば確実に、2~3日のうちに死が訪れる。そういうことは自分自身はやりたくないし、ここのスタッフも望んでいない、そういうことだった。
そして、点滴をやめれば、皆が母を取り囲んで、例えば「お母さん! お母さん!」などと声を掛け合う中で息を引き取ることができる……、そんなことを期待するなと、現実の老人の最期はそんなにドラマティックではないと、おそらく主治医はそう言いたかったのではないかと思う。「今夜かもしれませんよ?」と、主治医は釘を刺す。
同席している看護師長が、口下手な主治医のフォローをする。普通であれば「そろそろだな」という時期がスタッフ達には分かるので、その時点で家族に連絡し、「そろそろ詰めていらしたほうがいいですよ」とアドバイスをするというのだ。
しかしうちの母の場合は、それがいつなのか分からない、ここまで意識がはっきりしていて会話のできる人は見たことがないと、看護師長は言う。確かにその通りだと、私達も思う。
母を担当したスタッフ達が、細かい看護メモを残している。その用紙を覗くと、「足が痛い、背中が痛い、おっぱいが痛いなどと、要望が多い」などと書かれている。母は娘達にだけではなく、最近はスタッフに対しても様々な要求を口にしていることを知る。
点滴をすることで痰が増えると聞いたことを看護師長に話すと、今の点滴の量は、痰が増える程のレベルではないこと、むしろ水分量が少ないために痰が固くなって喉にまとわりつきやすくなるのだと説明された。「それにご本人が、点滴をやりたいとおっしゃるのでね。それを止めましょうとは、こちらからは言えないんですよね」
ただ、この頃は点滴が血管に入りづらくなってきていること、それでも母は
点滴をすれば良くなると思っていること、義務だと思って我慢して従いがちなことを話し、「本当に母にとって少しでもラクなほうを考えてあげたい」と、私は師長に伝えた。語り出したら急に、泪が止まらなくなった。
今後は、母が無理に我慢することのないよう、今まで以上に母の意思を丁寧に確認し、点滴をやるかどうか決めていくと、師長は約束してくれた。
この頃母は、「喉が渇いた」とは言わなくなった。「お腹が空いた」とも、ほとんど言わなくなった。
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