見出し画像

揺れる師走

2011/12/15

今年があと半月で終わるだなんて、誰が信じる?

「今月いっぱいもたないかも…」なんて言葉は、ナースステーションの床の片隅あたりでとっくに干乾びている。

「胸を擦ってよ」と言う母の、胸というよりは骨の上をただ、掌でそろそろと撫でるしかない有り様なのに、相も変わらず母の瞳は不思議なほどに清らかで、脳ミソはバリバリに冴えわたっている。

「いつまで経っても、少しも食べられるようにならない。なんだか悪くなってるみたい」と、母は不満げに話す。

「病気が治ったら、いちばん初めに何を飲もうかな」と言う母は、ただ夢を語っていたいだけなのか。あるいはその一点の認知についてだけ、紛れもなく「認知症」であるのか。

母の嚥下状態は一進一退で、見る度に痩せていっているのは間違いないのだけれど、それでも頭はきっちりと動いていて、少しも昼寝をすることがない。

私が病室に入ると、「あら、久しぶり。一年ぶりね」 などと、冗談のつもりなのだろうが冗談には聞こえない暗い顔と声で、私に囁く。
浅田真央ちゃんのお母さんが亡くなった原因まで、母は知っている。

私達三人姉妹は、落ち着かない日々を過ごしている。もうそろそろか、いよいよか、何度もそんなことを感じながら、そんなことをまったく予感すらしていない母に、皆がどこかで少し、苛立っているように見える。

「これが例えば5月とか6月だったら、別にいいのよ」と、下の姉が言う。
「年末年始の仕事の予定が立てられない!」と、上の姉が悲鳴を上げる。
「大掃除が手につかない」と、叔母がこぼす。

そう、師走だからいけないのだ。心の片づけようがないのだ。私も今年ばっかりは、年賀状の手配すらしていない。

今週の土曜日に、病院のコンサートホールで行われる有料のクリスマスコンサート。プロの声楽家と演奏家が奏でるクリスマスのメロディ。母の強い希望で、先月の初旬から予約を入れていた。こんなにもあっさりと、コンサートの日を迎えることになろうとは、あの頃は思いもしなかった。

宙ぶらりんのまま師走を生きる私達の想いとは裏腹に、「一人でいると、時間が経つのが遅いの」と、母が呟く。

スッキリと見開かれた両眼と、少女のような睫毛。もしかしたら母は、今がいちばん綺麗かもしれない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?