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延命や人の最期について

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DLBの母をとおして、延命治療、介護や病院、人の最期について……そのときどきの私が考えていたこと
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記事一覧

病棟の現実

病棟の現実

2008/12/16
(この記事は2008年のものです)

母はひと月半くらい、抑肝散を服用していない。今の病院では抑肝散を扱っておらず、担当医師はその存在すら知らなかった。けれど抑肝散は量も多く大きな顆粒なので、服用には結構なストレスが伴う。
だから飲まなきゃ飲まないでもいいのかなと、私達も医師に対して
特に要請するようなことはしなかった。ちょっとした幻覚くらい、あったらあったで良いのかな? な

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受け入れ態勢

受け入れ態勢

2009/8/15
(この記事は2009年のものです)

母は今、哀しみに堪えている。様々なことを、受け入れなくてはいけないという現実に。

先週の金曜日、ちょうど一週間前のことだ。母の担当医の50代と思われる女性が、病棟内で私を見かけ、「ちょっとぉ、疲れてるんじゃな~い?」と大きく声掛けをしてくれた。

私たち三姉妹が代わる代わる毎日のように病院を訪れることについて、担当医は、「毎日来ることない

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13か月

13か月

2009/11/27
(この記事は2009年のものです)

金曜日は母の病棟の入浴日。
きょうはいつもより、順番が回ってくるのが遅い。

母はとにかく自分を優先してほしい我儘な人なので、「まだ来ない」と思うことが何より嫌い。

私が病室へ着くなり、「もう、今日は入らないでいいって言おうか?」と言う。なんて短気なんだろう。
「臭くなるから入ろうよ」と、私は入浴を勧める。

一昨日の法事の写真を母に見

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「マイルドな地獄」

「マイルドな地獄」

2010/5/17

「アンタのとこ、新聞何とってるんだっけ?」と、電話口で姉(長女)が訊く。「こないだの伊藤比呂美の、読んだ?」

ええ、ええ、読みましたとも。金曜の朝日新聞ね。【介護保険10年 何が足りない】っていうオピニオンページね。「すぐに抜き取って、とっておいてるわよ」って私が言うと、「私なんか、切り取っちゃったわよ」って姉が言う。

「死を不自然に延ばさないで」っていうタイトルの、詩人

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背負う覚悟

背負う覚悟

2010/8/27

どうしてそんなに、生きることを強いなければいけないのか、やっぱり私にはわからない。

「この頃、痙攣をよく起こすのよ」と、母が隣のベッドの女性について語ったばかりだった。お隣の女性が入浴から戻ってこられて、胃ろうから液体の栄養剤を入れていた時だと思う。私がまさに、母の元を去ろうとした時、隣の女性が痙攣を起こしながら、激しい嘔吐を始めた。

右を向かせられたら向かせられたまま、

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進行

進行

2010/11/1

二ヶ月ぶりに、母のことを書こう。

私が最後に母の病院へ行ったのは、8月30日だと思う。それからまるまるふた月、私は病院に行くことができなかった。

この二ヶ月間、ほんとうにいろいろなことがあって、息子の人生は大きく変わってしまったし(それが今後の彼の人生において、いいことなのか悪いことなのかはまだわからないけれど)、私自身の未来図も大きく描き直す必要が出てきた。

私が田無

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掌の記憶

掌の記憶

2010/11/28

金曜日に、母を見舞った。この頃は以前の半分の頻度でしか
見舞いに行けない私だけれど、そのぶん、母の変化がよく分かる。

11月の初めに久しぶりに見た母の顔は、痩せて三角ねずみのようだったけれど、この頃はまたほんの少しだけ頬に肉がつき、肌色もきれいになった。飲み込みの悪くなった母に、食事の形態を変え、さらに日に2度、補助食なるババロアの類いが病院側から提供されたことによる、ま

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最期を考える

最期を考える

2011/6/21

先日主治医は、呑み込みの悪くなってきた母に、胃ろうの説明をしたのだという。胃ろうという手段があるけれど、この先どうするか、家族とよく話し合っておくように、と。

母は医師に、胃ろうについての質問をいくつかしたようだった。私も姉達も、母に胃ろうをつくることはずっと反対だったし、入院時から何度か、意向を伝えてきたはずだった。

「動物として、食べられなくなったらお終い。胃ろうは延

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母と胃ろう その1

母と胃ろう その1

2011/10/9

母のことを書こう、母のことを綴ろうと、思えば思うほどなんだか心はモヤモヤとし、そのうちすべてが面倒くさいような気になって、そそくさとパソコンの電源を落としてしまう、そんな日々だった。

相変わらず日によって調子の波が大きい母だが、秋の訪れとともに、めっきりと嚥下力の低下が目立ってきた。

以前から母に対しては「胃ろうはせずに、苦しまないように自然に…」ということで、私達家族と

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母と胃ろう その2

母と胃ろう その2

2011/10/17

主治医と姉と私とで母の今後について話し合うため、電話で面談のアポを取った。その際に私は、母の意思を主治医に伝えた。

母は医師や教師などの前ではつい良い子になってしまい、「Yes」と言ってしまいがちなこと、しかし改めて確認しても母は胃ろうを希望していないこと、延命拒否の文書も手元にあること等を話した。その面談の席に、自分も参加して意見したいと母は希望した。

面談日の前々日

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レビー小体型認知症の母の最期の記録①【2011/12/23~26】

レビー小体型認知症の母の最期の記録①【2011/12/23~26】

2012/1/17

母が生きた最後の数日間を、記録しておかなくてはと、思えば思うほど、億劫になってしまう自分がいる。
母のあの顔を、身体を、生々しく思い出せばやはり、心が乱れるからだ。

◆12月23日(祝)

母は、土気色の顔をしている。ベッドの上で薄目を開けたまま、うとうとする時間が長くなった。僅かに開いた母の瞼の隙間から、黒目が左右に動く様を見ていると、もしかしたらこのまま逝ってしまうので

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