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おすしが食べたい

昔からしょっちゅうお寿司を食べていた。
どんだけ食べても
お寿司は食べるたびにわくわくする。
いつまでたってもご馳走。

おじいちゃんとおばあちゃんと会うと
絶対に連れてってもらえてた
お馴染みのお寿司屋さんも
母が忙しい時に電話番号覚えるほど
出前をお願いしてた近所のお寿司屋さんも
週末に家族といったまわるお寿司も、
特別な時に食べるお高めのお寿司もどれも好き。

かなり身近な存在でもあるけど
いつまでも特別感があって、だいすき。

今考えてみると、お寿司と焼肉は
相当信頼してたり身近な人しか
自分から誘わん傾向にあるなあ。

築地や豊洲においしいおすし食べに行きたい。
あ〜〜!食べたい!おすし!


ちょうど一年前。
父が母を誘って行った人間ドックで
父に癌が見つかった。
風邪もひいたことないような
体年齢35歳とか自慢してくる、父が。

目の前が真っ暗になった。
この言葉はこういう時に使うのかって
自分で冷静に感じたほど。
血の気がサーーっとひいていった。

仕事辞めて実家に帰った方がいいかなとか
ほんとうにいろんなことを考えながら
ひたすら泣いた。何をしてても涙が出た。
悲しいとかの感情よりも怖くて涙が出た。
自分はもしかして
この手術から目が覚めないのでは…?って
考えた手術の前夜より怖かった。

その時ちょうど自分に昇進の話があった。
家族の病気を理由に仕事を休むだとか
考え事をしてて変なミスをしてしまうとか
仕事に支障をきたすのは絶対に嫌やったから
今は父の病気を家族と考えたいと話した。
はじめて父の病気のことを人に打ち明けたことで
自分の中でなにかのネジが外れてしまい
職場の上司の前でバケツ一個分くらい
どばどばと泣いてしまいびっくりした。

父の病気のことは
いまだに周りの人には話していない。

友達たちのことを信頼してない訳では無いけど
話す気にまったくなれない。
別に話さなあかんとか全くないんやけど。

なんでか、うちは誰にでも何でも
打ち明けていると
自分のことをベラベラ話すと
そう思われがち。なんでやろ。
ぜんぜん、そんなことないのに。
どちらかといえば警戒心がかなり強い。
あっけらかんと見えるのかもやけど
めっちゃオープンに見えるのかもやけど
何故そう見えてるのか要素がなんなのか
自分ではまったく分からんけど
この先くんなよ!というオーラを出すのは
めちゃくちゃ得意やし、
かなり傷つきやすいしすぐ落ち込むから
かなり人に対してバリアを張りまくっている。

だから、この人は受け止めてくれるというか
しっかりじっくりと
うち自身と向き合ってくれてるというか
そういう人にだけ話した。2人だけ。
この人に話そう!とかではなく
自然と口にしていた。

忙しいのに本当に一人でいたくないときは
一緒にいてくれたり、
ほんとうに頼りにしてるし安心できる。
だいすきな人。

友達はハッピーを共有できていたら
楽しいしそれでいい。

でも、悲しいとか怒ってるとかつらいとか
そういうマイナスな感情を自然と
共有できる関係性になると
親友とか恋人とかに進化する。と、思う。
自分のマイナスな部分を知ってくれていて
それでいて、
仲良くできてるって相当ありがたい存在。

元から痩せ型で色白ではあるけど、
父はさらに痩せてさらに色白になった。
だいすきなゴルフも体力が続かなくて
すっかり行かなくなってしまった。

自分の不調に気付いた時、
病名がつくと少し楽だったり安心する反面
やっぱり怖くなってしまう。

父は、母に絶対に弱音を吐かない。
そもそも父は寡黙で言葉を発さない、
でも何故だか昔から
うちにはポロポロと話をしてくる。

パパが原因で実家には帰ってくるなって
父に言われたけど、
たぶんそれは本心ではないと思う。
ほんとうに無愛想で愛情表現とか皆無やけど、
父は、母のことが、心底心配なんやろうな。

手術をし、抗がん剤治療を一年耐えた
父が来週、外来に行き、検査を受ける。
そこで、寛解の診断が出ますように。

辛い辛い抗がん剤治療が終わり
なまものがついに解禁になったと聞いた。

父もお寿司が好きだ、

寛解といわれたら、
父と、おすしをお腹いっぱいたべたい。

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