見出し画像

先輩、なんて。


僕の一つ上の先輩の、大学の卒業式が終わった。
大学の卒業式なんて、行く人も行かない人もいて、大した行事じゃない。

しかしまあ、この気持ちだって本物だ。

役割は人を形作る。
内田樹『困難な成熟』より


親とは「子供」ができた瞬間「親」の役割を全うするようになるように
先輩は「先輩」だから先輩たりえる、という考え方だってもちろんある。あるのだけれど、僕はやっぱり、この人たちだったから、大好きになったんだぞ、と主張したい。


中高と汗まみれでステキな男子校生活を楽しんだ僕だが、とにかく後輩には恵まれた。けれど、その反面大好きな先輩というものが全然できなかった。それはもう全然。

大学に入れば、いい先輩ができるのかなあ、なんてふわふわと思っていたら突如コロナフェスが始まった。

後から思ったことだけれど、どう考えても先輩が好きになれないのは僕自身の問題であったように思う。


「先輩なんて、クソ食らえやな。」
「一つ上、二つ上というだけで何故あんなに大きな顔ができるんだろう」


大学生になって、その思いはまた拍車をかけた。ましてや僕は一浪しているから、年だって変わらない先輩も多かった。

けれど。
僕は性懲りも無く「学友会連合会」という、高校までの生徒会めいた組織に入っていて。
そこでは当然、役職というか「肩書き」が一人ひとりにつけられていて。

まだまだ若輩の僕の「上司」みたいな人はいて。
その人は当然先輩なわけで。

フェスのおかげで部活は全然動かず、大学祭も満足にできず。
「連合会」自体に嫌気がさしていた時だった。

そんな時、たまたま僕はある部署に入って、そこにいたのは3人の先輩がいた。僕よりも数段経験のある男の先輩を、僕は師匠と思うことにした。師匠は部活のことならなんでもござれ、という感じで、僕の三倍くらいの速度で仕事を終わらせた。心から尊敬した。
そしてそれ以外のこととなると、びっくりするくらいおかしな人だった。とくに恋愛の話になるとよく叫んでいた。この人は思ったよりも変な人だぞ、ちょっとついていくのは大変だぞ、と兜の緒を締めなおした。

僕を友達であり後輩、と扱ってくれるその先輩方との空間はあまりに心地が良くて、飲み会に何度も行った。

それからそれから。
その人たちと仲良くしているうちに、他の先輩も増えてきた。柔道でただ一つの技を極めれば、その他の連絡技も勝手に上手くなってくる、みたいなことなのかな、と思った。これは野村忠宏さんが言っていたこと。

ーーー
よく言われた。「君は、とにかく自分の代が始まるのがウキウキなんでしょう」「だから、先輩が引退するのなんてどうでもいいんでしょう」と。確かにワクワクはする。それは紛れもない事実で、これからの一年は楽しみである。期待だって希望的観測だって多い。
そうじゃなきゃ、こんな椅子座れやしない。

でも、自分でもびっくりするくらい、

白い大学祭スタッフジャンパーやら手紙やらに書き込まれた先輩方からの言葉は何度も何度も反芻してしまう。加藤執行──僕の一つ上の代の団体の呼び名、なんだか内閣みたいで偏屈に思えるだろう──が終わる前最後の会議の後に撮影した集合写真は、何度見ても、あまりにもアニメのワンシーンめいていて、少し笑えてくる。ひとしきり口角をあげた後に、すこし視界がぼやける。
ーーー

卒業式の後がこんなに悲しくて寂しいなんて、思わなかったな。


ロボットみたいな、ティラノサウルスみたいな歩き方で、連合会一おもしろくないとイジられることも多いけれど、僕をいつだって見守ってくれて、誰よりも人情深い人。
同じことを何度も何度も擦りまくるけれど、最初から最後までずっと優しくて、ゆるくて、大学祭の歩き方を教えてくれた人。
誰よりも重圧に押しつぶされそうだったはずなのに、僕には決してなかった考え方を教えてくれた人。
後輩と仲良くなりたいと思っているくせに、全然仲良くなれなくて、結局僕とばかりいてくれて、辛いときずっと隣にいてくれた人。
北海道のスキー場なのにジーパンで滑ったり、漢字が全然読めなかったり、コーヒーが好きすぎたり、僕をずっと肯定してくれたりした人。
わがままの癖に、どんなところでも愛されて、僕に友達と先輩と、連合会の楽しさをくれた人。

とてもじゃないが、あげきれない。

いろんなものをくれたあなたがたに、心からの敬愛と感謝を。



そうだ。今年の4/1、入学式は楽しみにしてて。
最高のスピーチ、見せてあげますから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?