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虚勢の張り方講座〜Fake it Till you make it〜

久々じゃねえか。こういう、前日から緊張しすぎて気持ち悪くなるのは。

選挙に出た。とりあえず、選挙に出馬した。選挙には演説会がつきもので、これは、その前日のお話。講座でもなんでもないです。

毎日毎日、虚勢を張っている。張り続けている。いつの日か、それが本物になることを夢見て。

僕は小さな頃から、家族中が呆れ返るほどの「あがり症」であった。

叔母がピアノ奏者だったから、自然に3歳からピアノの鍵盤を叩いていた。遊びでポンポン鳴らしたり、他の人が奏でる音楽を聴いて間違いを見つけたりするのは出来ても、周りに見られているとなるとすぐに頭の中が真っ白になった。

「それは猿も木から落ちる、やな!」


家の中では最強だった。母の前では「すごいやろ!」と得意げに状況に見合ったことわざを披露しても、初めましての同年代を前にすると言葉が出なかった。明朗快活な妹の陰に隠れ、その場をやり過ごすことだけを考えていた。
まったく、我ながらなんという内弁慶っぷりだろう。

しかし、転機は12歳の時、小学六年生の頃に訪れた。
100名ほどしかいない小さな田舎の小学校のメンバーを、6つほどの班に分けた「委員会制度」たるものがあった。僕はその中でも、保健室のおばあちゃん先生が割とすきだったという理由で保健委員会に所属した。そしてその委員会の中の「保健委員長」になった。たしか、選挙などしなかった気がする。何となくで決まった。

保健委員長の仕事は「給食の献立を、給食の前にみんなに伝える」

これだけであった。


これだけであったが。
これが、僕の学生生活を大きく変えた。

みんなに伝えるというのも、みんなは給食を前にお腹を空かせている。いわば「待て」をかけられた状態なわけだ。

つまり給食の献立などどうだって良くて、早くご飯を食べたい。


そんな中で、あがり症の僕は最初「はやく読み終わらなければ!」と焦っていた。
でも、抑揚を付けるとみんながふふふ、と笑っていたのが分かった。
初めての経験だった。
笑ってくれたのが、心から嬉しかった。自分の言葉一つで、みんなが笑ってくれている。そう思うと、「保健委員長であることの」誇りも、使命さえ感じた。

それから。前に立つ悦びを知った僕は、どんどんと人前で話そうとするようになった。
下手くそだった。元来あまり滑舌が良くないのに早口で話そうとするから、何を言っているのか分からないよ、とよく言われた。ちなみにこれは「リーガルハイ」というドラマの古美門研介に影響を受けた喋り方だった。

中学時代、中学生徒会長選挙に初めて出馬した。
高校時代も生徒会長になった。奈良県の生徒会長の代表にもなり、全国高校生徒会大会という大きな催し事の、大会副実行委員長もさせてもらった。
高校を卒業してからは、大学生起業家の端くれとしてスピーチをすることもあったし、成人式の成人代表にも選ばれた。

本来、小心者なのだ。


毎度、じっとしていられないくらい不安になって部屋の中をウロウロし、吐きそうになるくらい緊張しては息の仕方を忘れる。

2つ年の離れた妹に言われる。「もうお兄ちゃん、そんなしんどいんやったら、やめときいや」
母にも同じように言われた。「あんたは、ほんまは向いてないんやで」

やめようと思った。もっと、もっとあっけらかんとしていられる人にこそ、こういうのは相応しい。演説前でもスピーチ前でも挨拶前でも選挙前でも、なんにも気にしない、みたいな。

そういうやつに憧れた。
そういう人に、なりたかった。

勝負の前日はご飯も美味しく感じないし、ちょっとした熱さえ出る。吐き気だってするし、口の中が砂漠みたいに乾く。ああ、気持ち悪い。

でも、仕方ないよな。やろうって決めたんだから。やりたくなっちゃったんだから。
ごめんな、お兄ちゃん、もうちょっとだけやってみたいんよな。

そういうやつの、フリをして。

僕は今日も、性懲りもなく。
また、馬鹿みたいに、本当は苦手なところへと、あたかも得意な顔をしながら進んで向かっていっている。

ーーー

疲れたな。楽しいとか、そう思うのはやっぱりこれじゃ難しいけれど、しっかり話せたかな。
肌を撫でる夜のビル風が気持ちいい。

選挙について。
ちなみに、FakeIt〜はTedtalks の僕の好きなスピーチからの引用です。よかったら見てみてね。

https://youtube.com/watch

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