子どもと、若者の狭間。
ありがたいことに、こんなものばかり書いている僕だが、今日付で23才となった。
祝ってくれたみんなには感謝ばかりだ。全員大好きです。いつもありがとう。
大学を卒業しても、どうか仲良くしてほしい。
まあ別に卒業したら遊ばないよ、という人は卒業まででいいし、引退まででもいいから写真くらい撮ってほしい。
さすがに23程度でオッサンだとか言うのはむしろ粋がっているというものだと思うし──だから僕に限らず少し大人ぶった輩をおじいちゃんだとか言うのは片腹痛い話である──まだまだ青二歳で下積み真っ只中だぞこっちは!という思いで、今夜も書き連ねることとする。
今日食べたケーキと珈琲、うまかったな。ケーキは胃もたれしそうになったけれど。年か?
「小さな絶望の積み重ねが人を大人にするのです」
大人になるとは、どういうことだろう。
僕は漫画が好きだ。漫画、小説、新書、アニメ、映画、好きだ。
大好きな漫画の中に呪術廻戦というものがあって、主人公は高校生。学生がいれば、その世界には先生がいる。主人公がいれば師がいる。だいたいそういうものだ。
先生であり師匠として描かれるキャラクターの1人に「ナナミン」というおじさんがいる。めちゃくちゃおじさんで、もっといえば「イケオジ」である。設定としては脱サラした呪術師。変な職業に転職したおじさん。
なるほど。
大人になるには「とんでもない大きな出来事」ひとつでは足りないという。小さな、あまりに小さな出来事を少しずつ経験して初めて、大人になると、彼は語るわけだ。
少しずつの経験とは、何を指すか。
無論人によって違うだろうが、今日は誕生日だし僕個人の話をさせてほしい。
珈琲について。
小さい頃良さのわからなかったものが、少しずつわかってくること。
小さい頃からずっと紅茶党の僕だが、最近は珈琲を飲むことが多い。
「逃げるは恥だが役に立つ」でも主人公らの回想として喫茶店のシーンがあったが、なんか珈琲を飲むって大人っぽいじゃないか。
高校生の頃の僕はモテること・その一点に努力の機会を全振りしていた。書道も生徒会も柔道も、ハッキリ言ってモテる(或いは目立つ)ために最初は始めた。まあその努力のベクトルの方向はてんでズレているのだが、ここでは言及しないものとする。しちゃったらかわいそうだろ!
まあこの話は最終的に、とにかくモテたかったはずの僕が五厘刈り(めちゃくちゃ、短い。もはやスキンヘッド)の坊主になり、ペラペラ早口でスピーチをするようになるという女子ウケ最悪の男になるまでの軌跡を描く。
さて、そんな僕だったが。当時コーヒーは当然「ブラック」を無理やり飲んでいた。理由は明白でなんかカッコいいから。でも途中で不味すぎるのでやめて、往生際の悪い僕は「微糖」を飲むことにした。別にあんまりおいしくなかったけれど。ブラックコーヒーを毎朝飲む母には「そんなん甘すぎるやろー」と茶化された。
しかしよく考えてみれば「微糖」なんだから入っている砂糖は「微々」たるものであり、「甘すぎる」とそれを形容するのはおかしい!と今になって反論してみる。
ただこれはそんなにムキになることではないし、二十数年前の今日にお腹を痛めた彼女に言うべきことではないことだけは明白だ。
そうこうしているうちに「コーヒー=まずいもの」という栗林少年の公式ができてしまった。
まずいものに雀の涙ほどしかないお小遣いを使うわけにはいかない。もちろん買うものはプロテインとサラダチキンだ。
そんなこんなで、コーヒーからは中高時代、距離を置いていた。
のだが。
大学生になると、やたらみんなコーヒーを飲むのだ。なんでだよ。あとビールも飲むのだ。
そんなに苦いものが好きかね、というくらいに飲む上級生たち。
別に憧れたわけではなかったが、なんかかっこよさげだし試しに飲んでみた。やっぱりまずいじゃないか。
いやいや、ウニだって「本当に美味しいもの」を食べていないから苦手と思い込んでしまうのだ、みたいな言説もある。(ちなみに僕は海鮮がとても好きだが、北海道のウニも福井のウニも食べてみたがそんなに美味しいとは思えなかった。まだまだ子どもなのかしら)
何事も挑戦だ。勉強だ。
ある喫茶店で「超高級!〇〇産豆」みたいなものを飲む。800円もかけたのに、やっぱりまずい。ミルクで苦い汁の味を誤魔化すが、やっぱり美味しくない。
二度とやらんわこのクソゲー、というような心持ちでいたが、一度「なんかかっこいいしな」と曖昧に憧れたものには、焦がれるものなのだ。
そうしてまた、月日は経つ。
ある時期からコンビニのアルバイトを始めた。その中でコーヒーマシンの清掃、というお仕事があった。
コーヒーなど普段飲まない僕だが、洗っているとなんかめちゃくちゃマシンがいい匂いなことに気がついた。煎られたコーヒー豆の匂い。小さい頃も母から香った匂いだ。
そうして、いい匂いだな〜と思い始めて数ヶ月経った頃。暑い日だった。喉が渇いて、なんとなくコンビニに寄って、なんとなく携帯を見たらクーポンがあった。それを使いたいがためにコンビニのアイスコーヒーを注文した。
たしか100数円くらいの。
うまいな、とも思わなかったがまずいとも思わなかった。
そこからたまに、一ヶ月に何回か、その商品を買うようになった。
飲むたびになんとなくそれが好きになっている自分に気づき始める。なんだか味が重い気がして、ミルクも入れなくなった。
喫茶店でも、紅茶でもフラペチーノでもなくアイスコーヒーを好んで頼むようになった。
別に、コーヒーが飲めたから大人だとか、そういう単純な二元論ではなくて。
例えばなにかを食べる時、めちゃくちゃ美味しい、とは思わないにせよ、「まあ別にいい」それをある程度許容して、美味しくなるまで我慢して食べ続けるようになれること。
最初に求めたものでないにせよ、期待していたものでないにせよ、それをそれなりのものにできるまで、自分を満足させてのらりくらりやれること。
そういうことができるようになる、が大人になるということじゃないのかなあ、と、そう思う。
まあ大人というとあまりに広すぎて不安になってしまうから、まだまだ若者ではいさせてほしいけれど。
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