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ほんとは体育祭の方が、高校までは好きだったよ。

僕はなかなか、消化ができないタイプなのだろうなと思う。お腹はすぐに空くのにな。小さい頃から「ちょい食べ」が好きだった。全くデブまっしぐらだ。

○○なタイプ,だとか〜〜な人、というふうにあまり自分をステレオタイプ化したくはない。でも、僕は「属性」が好きなのだということをつい最近気付かされた。もう遠い昔のような気もするけれど。
文化祭。
学園祭、大学祭、うちでいう生駒祭について綴るとしたい。僕は正直、文化祭にそれほどの熱はなかった。語弊がないように慎重に言葉は選ぶべきだとおもうけれど、これは本当の話だ。体を動かす方が好きだった。

中高一貫校に通っていた僕にとって、文化祭とは「ただ5年間(高三生は模試があるから文化祭に参加する暇などない。そういう愛すべき母校だった。)秋にあるもの」だった。母校は文化祭に力を注ぐことを良しとしてくれる学校で、その規模自体は全国の高校でも指折り、当時僕も色んな学校の文化祭に足を運んだが「瞬間的な盛り上がり」なら日本一だ!とも思っていた。全国大会でも賞を取りまくる文化部勢と花火打ち上げまで実現させる実行委員会勢の努力の結晶。
僕のことを少し知ってくれている人は思うかもしれない。


「いや、でもあなた生徒会長だったんでしょ、頑張ってたでしょ。」


ごもっともだ。確かに頑張った。でもそれは、頑張るべきだから頑張っていた、という表現が正しいのだと思う。
自分がどう、とかではなく。みんながこんなに頑張っているんだから、代表で一応責任者の僕が頑張らないわけにはいかないのだ、という。

僕のことをもう少し知ってくれている人は思うかも。

「しかし君、書道部だってしていたじゃないか。パフォーマンス、かなり熱を入れていたように思うけれど‥」

その通りだ。


書道部は大好きだった。間違いなく、僕の中高時代の重要な要素の一つだ。
でも部の活動は年間を通じて有るものだし、文化祭とはそのアウトプットの場に過ぎないだろ、と僕は思っていた。
でもそんなこと言っちゃ、なんだってそうなのかも。
ーーー

舞台を大学に移す。


僕が入学したのは関西有数のマンモス校、というかマンモスレベルで言えば最早日本の中でも頂を獲るか獲らないか、みたいな大学だった。
無論、大学祭も華やかで盛大。実は、入学時、大学祭実行委員会に所属しようなんてつゆほども考えちゃいなかった。
うちはおかしな学校で、
「学友会連合会」
「大学祭実行委員会」この2つの組織のトップが同じ人物という形態をとっている。これさえ僕は知らずに、大学一年の春
「学友会連合会」に所属することを決めた。

理由は、同期がいい奴らだったから。

何かがしたいとか、活動に期待したとかじゃない。「そもそも、この団体に何の期待もしてねえよ」みたいに考えていた。
同期は「あの頃は尖ってましたからねえ‥」と冗談めかして笑ってくれるが──ちなみにこの同期のことも最初苦手だった。ナヨナヨしやがって、なんだこいつ、みたいに思っていた。ごめん今は好きだから──今思えばなんとかわいくない一年生後輩だったんだろう、と申し訳ない気持ちになる。
そんな世間知らずで馬鹿丸出しの僕を
「お前最初ほんまナメとったもんな〜」と笑いながらお世話して下さった先輩方には頭が上がらない。

さて。時間軸を今年に進めるとする。
無論一年から大学祭実行委員会に所属している僕だが、三年になって「各要所の部署」に振り分けられることになった。
10以上から成る「実行委員会の中核をなす」部の数々。
僕は「そこに確実にいるであろう先輩が好きだから」という理由でとある部署に、
「自分が必要とされている気がしたから」という理由でもう一つのとある部署に、兼部という形をもって所属することになった。

一つ目の部署は、とにかく、とにかく、体力的に厳しい部署だった。

大学祭期間となる5日間ほぼずっと歩きっぱなし、という部だった。
でも、とにかく笑っていた気がする。
男ばかりの部だった。口では女性と話すのが好きとか、初対面なら異性の方が話しやすいとか言っていても、結局僕は中高一貫の男子校出身で「男しかいない空間」の雰囲気が好きなんだろうな、と思い知らされる。
笑ってしまうな。
足裏はこちこちに固まり、肩はぎしぎし音を立てるし、腰は爆発しそうだった。なのにも関わらず、ああ楽しかったと、いえたのは、たぶん。
精神的に、なんにも辛いことがなかったからだと思う。先輩方は神懸り的なバランスの良さだったし、同期と後輩たちも馬鹿で真面目で面白い奴らばかりで。
「生駒祭の安全を守ってくれてありがとう」と僕に綴ってくれた先輩がいた。ああ。赤く光る警棒を持ってひたすら学内外を練り歩く僕たちを、心から誇りに思う。 

二つめの部について。


僕がよくストーリーであげる「お会計」という文言がある。文字通り会計処理、お金を扱うことに長けた集団だ。と言っても4人しかいない。
我が大学の「○○部・自治会・委員会」の予算を決め、活動における会計面でのサポートをし、その後の面倒を1年間見る。まあそんな部署な訳だが、大学祭でもすることは変わらない。
例によって、毎年「全く人気がない部署」である。理由は激務だから。誰が夏休みを削って計画書を読みたいのか。誰がクリスマスに報告書を読みたいか。でも、やっぱり、必要とされている気がして。
つくづくチョロいなと思う。ベビー5かよ。会計部の大学祭は終わらない。ああこれは青春は一生モノ的な意味ではなくて──会計報告が終わるまで──本当に業務が終わらないのだ。
そこで出会った先輩の話も、またしたいな。自分でもびっくりするくらい好きなのだ。


そんな大好きな先輩たちのいた「学友会連合会」「大学祭実行委員会」どちらも、もう、代替わりの時期になってしまった。
代替わりの時期、というのもなんだかお葬式のようなもので。
「葬式」とは「意図的に忙しくすること」によって「悲しんでいる暇を与えない」ようにするためのもの。そういう儀式を作らないとあまりにも後を追って死んでしまう人が多かったから、わざわざ昔の人はそういうものを作ったんだよ、と中高時代の古文の先生に言われたことがある。
と、代替わりに関するなんやかんやの話はまた今度。

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