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貧乏旅行なんて、バカの一つ覚えみたいに行けばいい。

日常は最も愛すべきものかもしれないが、非日常だって愛でるべきもの。
学生時代の同期がどこで何をしているかなんて知ったこっちゃない。ないが、どうか元気でいてほしい。元気にしているのならそれでいい。別に連絡はいらない。あ、でも6月25日の誕生日くらいは連絡してほしい。もちろんこれは僕の誕生日である。
たのしかったよな、みんな守銭奴みたいにして切り詰め倒したあの旅行。

大学ではよく旅行へ行った。

そのほとんどは国内だけれど、全く後悔なんてしていないし、それでよかったとも思っている。
別に前から旅行が好き、なわけではなかったと思う。けれど、両親の新婚旅行先はイタリアだったし、僕は中高で留学をさせてもらったりして、遠くに行くことに抵抗はなかった。
余談も余談だが、3歳時、幼稚園のバスに乗り込むことも断固拒否し、依然として母に泣きついていた過去を持つ僕としては実に目覚ましい成長といえる。

大学ではよく「学生団体の~」「大学祭実行委員会の~」を枕詞に連ねているのが常套手段ではあったが、実はヘンテコなスポーツもやってみていた。
スキューバダイビング、スノーボード、スポーツチャンバラ、そのあたり。どうやら僕はスから始まるスポーツがずいぶん好きらしい。

特にスキューバダイビングなんて、自分がするなんて夢にも思っていなかった。
海無し県に生まれて高校まで18年、海に焦がれ続けた。焦がれすぎて、海の見える街に住みたすぎてそれを理由に第1志望の大学を決めたくらいだ。まあそんな激弱の理由では、そりゃ落ちる。しかし当時そこまでして憧れた街を社会人になった今、仕事場にしている。まったく人生とは何があるかわからないものである。

まあそれはいいとして。
スキューバダイビングは煌びやかな世界だった。海はとても美しく、深く、怖い。
いや、深すぎた。
とにかく、ダイビングという趣味は金がかかるのだ。
たしかに今思えば破格の値段ではあった。大学生価格というやつだ。しかし、当時の僕にしては有り得ない金額がバンバン飛んだ。1年生からコツコツ貯めていたバイト代はみるみるうちに無くなった。無くなりすぎて通帳を見た母から「あんた、詐欺にでも引っかかってるんちゃうか」と心配されるほどだった。しかしとても安心なことに、そして僕にとってはとても残念なことに、支払いの何もかも心当たりがあった。めちゃくちゃ怒られた。なにも安心ではない。

お金はない。しかしダイビングする為には海へ出るしかない。そこで我々貧乏学生が考えたのが、ダイビング代以外を全て最低価格で行くダイビング旅であった。飛行機はもちろん格安チケット、宿はオンボロ、食事はスーパーあるいは自炊、というような。

よくもまあ、あんな宿に泊まれたものだ。
でも楽しかった。苦しかったり大変だったり、不満は山ほどあったけれど、楽しかった。

LCC、激安レンタカー、夜行バス、行き先不明のサイコロきっぷ。色んな場所に、色んな手段で、ない知恵を絞りながら赴いた。

まあ別に今だって同じようなものだけれど、やっぱり学生時代に行った、という証拠は残しておいてもいい。
もうそれを、今の僕たちは作り出せないから。

学生は時間はある、とよく人は言うが、僕は学生こそ、いちばん忙しいと思う。

忙しいのは承知の上で、もしあなたに少しでも元気があるなら、なんとか捻出して欲しい。旅の時間を。
どうか、これからどうにも行かなくなった時にふと見返して、笑えるくらいのフォルダを作って欲しい。

くだらない、まったくもって贅のない貧乏旅行を、山ほど行って欲しい。
ほんと、バカみたいに。

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